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現代ドイツの地域間格差是正政策に関する一考察89第2次大戦後旧東ドイツは旧ソ連の統治下におかれ,旧西ドイツのように戦後復興のために十分な資金提供をうけることができなかった。歴史的な経緯からみれば,現在の....

現代ドイツの地域間格差是正政策に関する一考察89第2次大戦後旧東ドイツは旧ソ連の統治下におかれ,旧西ドイツのように戦後復興のために十分な資金提供をうけることができなかった。歴史的な経緯からみれば,現在の東西格差や,東ドイツ地域の南北格差を埋めるための広義の財政調整がある意味最後の「戦後補償」36 のような様相がある。 また,財政調整制度という観点からみれば,バイエルン州は第二次大戦後から一貫して州間財政調整を通じて財源を受け取っていた州であり, ようやく1989年に拠出州に転じた。バイエルン州は,旧州の中で唯一,州間財政調整の受取州から拠出州へと転じた州であるが,その間,実に40年近くの時間が経過している。37 そうした経験からすれば,新州への「戦後補償」は,今しばらく続かざるをえないだろう。  おわりに 地域開発政策としての空間整備政策は,これまで経験してきた西ドイツ地域とは条件の異なる東ドイツ地域に基本的な内容はほぼ変更することなく実施された。しかし,東ドイツ地域内での南北格差の是正は,ドイツとして,新しい課題への挑戦となっている。新しい課題への取り組みとして,ドイツ連邦政府は南北格差を拡大させるような地域開発政策の方向性を提起し,これまでの連邦領域の均衡的な発展を目指す「生活関係の同等性」という理念を変容させていくこととなった。これは,連邦および新州の財政的制約や,企業間の国際競争の高まりを背景として,地域開発政策を拠点開発方式によって進めていくことであったが,一方で,依然として地域における最低限の公共サービス水準は守メンスがバイエルン州に立地をしたのか,ということについては現在においても議論があり,歴史的にみても,様々な偶然性に基づいていたことが指摘されているということである(Doring[2008],S. 138)。山本[1993],第5 章では,ジーメンス関連企業の立地が進んだのは,戦前からもともとジーメンスの拠点があったことに加えて,バイエルン州がアメリカ占領軍政府の管轄下にあり,戦後復興に関する様々な情報を得ていたことなどを要因として指摘している。36 Eltges[2006b],pp. 74?76.37 シュレスヴィヒ-ホルシュタイン州が1995年,1997年と一時的に受取州から拠出州に転じたことがあるが,現在は受取州となっている。