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競争次元の高度化と日本デジタルスチルカメラ産業の国際競争力(1) 79こうした研究開発のなかで,ソニーが1981年に「マビカシステム」を試作発表する17。マビカシステムは,レンズから入ってきた光を電気信号に変....

競争次元の高度化と日本デジタルスチルカメラ産業の国際競争力(1) 79こうした研究開発のなかで,ソニーが1981年に「マビカシステム」を試作発表する17。マビカシステムは,レンズから入ってきた光を電気信号に変換し,それをアナログ信号のまま記録するので,DSC と区別して電子スチルカメラと呼ぶ18。画像を電気信号で記録するという意味で,従来の銀塩写真システムとは全く異なり,フィルムが不要であることから大きな話題になり,「マビカショック」と呼ばれるほどの衝撃をカメラ・フィルム業界に与えた。 「マビカショック」が起こってから,銀塩写真システムに関わってきた企業と,ビデオ技術を蓄積してきた電機メーカーは,電子スチルカメラの事業化を検討しはじめ,1983年に32社が参加する「電子スチルカメラ懇談会」が発足し,映像信号処理や記録方式を標準化するための議論がスタートする19。その後,1986年にキヤノンが「RC-701」を発売すると,富士フイルム,ミノルタ(現コニカミノルタ),カシオ計算機,ソニー,コニカ(現コニカミノルタ),ニコン,パナソニック,京セラ,オリンパス,ペンタックスなどが電子スチルカメラを市場に投入した20。しかしながら,これらは画質が銀塩カメラに比べて低く,製品として消費者を惹きつける十分な魅力もなかったため,どれも市場では受け容れられなかった21。その結果,電子スチルカメラの開発は,多くの企業で公式には一旦途絶えることになったが,電機メーカー,カメラメーカー,フィルムメーカー各社は,家庭用ビデオカメラの開発にシフトし,その過程の中でデジタル化のための技術蓄積が行われることになった22。 1989年,富士フイルムが世界初のDSC である「DS-X」を市場に投入し,コダッ17 マビカはMagnetic Video Cameraの略称で,MAVICAとも表記される。18 日本カメラ博物館運営委員会編[2007] 2 ページを参照。なお,DSCはデジタル信号に変換して記録する。19 福島[2002]131-132ページを参照。20 日本カメラ博物館運営委員会編[2007]32-48ページを参照。21 福島[2002]133-135ページ,青島[2003]118ページを参照。22 福島[2002]132-133ページ,青島[2003]118ページを参照。家庭用ビデオカメラ事業は,確固たる市場を開拓できていない電子スチルカメラに代わって,電子映像に関する経験を蓄積する場になった(福島[2002]132-133,135-136ページを参照)。なお,カシオ計算機では水面下で細々とカメラのデジタル化に向けた開発が行われた。デジタル化のために克服すべき課題を 4 つ挙げ,地道な開発活動が少人数で進められた(青島・福島[1997]368-373ページを参照)。