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金谷嘉郎著『近代日本経済史の諸問題』を読んで103昇した。これは第一次大戦を中心とする工業化の進展がその要因である。この時期の工業化の進展は,それなりの人手不足を生み,実質賃金水準を上昇させたと金谷氏は....

金谷嘉郎著『近代日本経済史の諸問題』を読んで103昇した。これは第一次大戦を中心とする工業化の進展がその要因である。この時期の工業化の進展は,それなりの人手不足を生み,実質賃金水準を上昇させたと金谷氏は考える。 次に,高知県の実質賃金の推移について,金谷氏は以下のように述べる。1920年頃までは波はあるがなだらかな上昇傾向であった。しかし,1897年を中心とする山がある。原因は日清戦争による影響であった。そして1910年代半ばまでは波をうちつつ上昇をつづけ,1923(大正12)年に119.6にピークに達する。これは第一次大戦による好況によるものである。その後下落傾向を続け1933(昭和 8 )年に87.8でボトムに達する。これは昭和恐慌によるものである。 金谷氏は大阪市と高知県との賃金格差について,高知県実質賃金÷大阪市実質賃金×100.0 という計算方法で計算し,これが賃金格差であると述べられた。 ここでその格差を詳細に検討され,一番格差が小さいのは1918年の97.4であり,ついで1919年の95.0であった。これに対して一番格差が大きいのは1933年の49.1であった。そして1930年から1937年までは50.0台である。このことによって第 1 次世界大戦にともなう好景気は,単に西日本の大都市だけではなく地方にまで及ぶものであったことを明らかにされた。これに対して昭和恐慌時においては,1933年で格差は約半分に達し,50.0台が1930年から1937年まで 8 年間続く。昭和恐慌は地方にとって極めて厳しい影響を与えたことを解明した。 以上の大阪市と高知県の実質賃金の推移と景気変動に関する分析の中で,金谷氏は以下の事を明らかにした。即ち,大阪と高知県は共に第 1 次大戦による好況によって実質賃金が急速に上昇するが,昭和恐慌期には大阪市よりも高知県の下落率が大きい。大阪市ではそれほど打撃を受けでないが,高知県では大きな打撃を受けた。いわば不況によって大都市はそれほど痛手を受けたわけではないが,地方では大きな痛手を受けたことを解明した。 金谷氏も指摘するように,好景気の時期には,消費者物価の上昇→貨幣賃金の上昇→実質賃金の上昇という経過をたどる。好況期には,まず消費者物価が上がり,ついでそれにややおくれて貨幣賃金が上がり,そしてその結果として実質賃金が上がる。恐慌時においては,実質賃金の下落は免れ得ないが,都市と地方はかなりの違いがある事が明らかになった。その背景には人口移動が無