097号

097号 page 134/212

電子ブックを開く

このページは 097号 の電子ブックに掲載されている134ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「電子ブックを開く」をクリックすると今すぐ対象ページへ移動します。

概要:
124 高知論叢 第97号4.過疎対策事業の評価 これまでの過疎対策事業についての評価は,一定の成果はありつつも,人口減少自体は止まっておらずむしろ過疎地域は拡大しているため,事業の目的である定住対策として....

124 高知論叢 第97号4.過疎対策事業の評価 これまでの過疎対策事業についての評価は,一定の成果はありつつも,人口減少自体は止まっておらずむしろ過疎地域は拡大しているため,事業の目的である定住対策としては失敗している,というのが一般的なものであろう。そこで問題になるのは,なぜ過疎対策事業は効果的なものにならなかったのか,ということである。 過疎対策事業の評価については,多田憲一郎氏が端的にまとめておられる。9多田氏は,京都府与謝郡伊根町を事例に1980年代までの過疎債の運用実態を検討して,過疎債の配分が人口減少の激しい山村地区ではなく漁村地区に集中し,しかも,そのほとんどを道路財源として運用してきたことを明らかにされている。その理由として,多田氏は,過疎市町村の財政の硬直化と,国や京都府による広域行政推進という地域政策の枠組みに影響されていることを指摘されている。すなわち,過疎債の運用については過疎市町村の裁量に任されているはずが,実際は過疎市町村の自由に使える一般財源の減少という財政構造と,上位団体も含めた広域行政システムによる二重の制約条件のもとにおかれることで,過疎対策事業は必ずしも過疎対策に有効に機能していないということである。多田氏が指摘する広域行政システムとは,1969年の新全国総合開発計画(新全総)から生まれた広域生活圏構想を意味しており,その内容は,過疎地域市町村を近隣の地方都市に結び付けて広域的なネットワークのなかで位置づけていくことである。そこで,広域的なネットワーク形成のためには,基幹的な道路整備を集中的に伊根町が進めていかざるを得ない,ということになる。 多田氏が指摘する,広域行政システムの制約という観点については,田代洋一氏がより詳細に検討されている。10 田代氏は,1970年の過疎地域対策緊急措置法が新全総の翌年に制定されたことについて,新全総がナショナルな見地にたって大規模開発を提起したのに対して,過疎法は過疎地域それ自体を政策対象とした点で決定的に異なるということを指摘されている。しかし,新全総が9 多田(1994), 72ページ以下を参照。10 田代(1999), 185-186ページ。また,全国総合開発と過疎対策事業の関係について,多田(1999)も,同様の指摘をしている。