097号

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24 高知論叢 第97号頭数は1962年に756頭であったが,10年後の1972年にはわずか124頭まで低下している。この間,三瓶草地の肉用牛飼養頭数はさほど減少していない。放牧頭数の減少はもっぱら飼養形態の変化,すなわ....

24 高知論叢 第97号頭数は1962年に756頭であったが,10年後の1972年にはわずか124頭まで低下している。この間,三瓶草地の肉用牛飼養頭数はさほど減少していない。放牧頭数の減少はもっぱら飼養形態の変化,すなわち,放牧から舎飼いへの転換によってもたらされたと考えられる。この時期は,また,牛の用途が役畜から肉用へと変化した時期とも重なる。 放牧頭数の激減とともに放牧地も一気に減少し,1970年頃には290ha となる。明治期の入会面積の10分の1 の水準である。1997年には,放牧頭数は年間平均で14頭にまで落ち込み,草地はほとんど利用なされなくなる。過少利用である。 1990年代になると,壊滅状態になっていた放牧が本格的な回復の兆しを見せ始める。放牧再生の最大の契機は1995年に三瓶草地で開かれた草地生態研究グループ現地検討会である。この検討会で生態学者の沼田眞は二次的自然の重要性を強調し,放牧を始めとした人為が植物相の遷移を止め,三瓶固有の草原景観と生物の多様性を生み出すことの重要性を指摘した。これを契機に,放牧などの人為が絶滅に瀕している動植物の保全を促すという認識が地元関係者の間に深まった。後にNPO 法人となる「水と緑の連絡会議」は,1996年から火入れボランティアを開始する。また,1998年にはモーモー輪地切と命名された牛を用いた防火帯づくりを発案し,新しい手法で防火帯の整備に着手する。これと連携して地020040060080010001200140053 5 5 57 5 9 61 63 65 67 69 71 7 3 75 77 79 81 83 85 8 7 89 91 93 95 97 99 0 1西暦放牧頭数放牧頭数図2 三瓶地区における放牧頭数の推移注1) 千田[8]および大田市役所農林課の資料より作成。1957年から76年までの放牧頭数は春季の放牧頭数を,その他はのべ放牧頭数の2 分の1 を計上するか,放牧日数が200日以上の牛を1 頭として計上している。