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44 高知論叢 第97号には艪・櫂・網の労働用具を没収する慣行があった」(片岡〔12〕, p. 51)。紛争が個人の行為が原因で発生しても,その責任はその個人が属する海村が請け負うことになった。すなわち,「相論があ....

44 高知論叢 第97号には艪・櫂・網の労働用具を没収する慣行があった」(片岡〔12〕, p. 51)。紛争が個人の行為が原因で発生しても,その責任はその個人が属する海村が請け負うことになった。すなわち,「相論がある特定の漁師もしくは操業者集団に関することであっても,村の代表者が前面に出て」相論の場に向かうのである(定兼〔21〕, p. 205)。この場合の相論は,漁場利用の権利をめぐり,当事者が領主や幕府などの上級権門に訴え出て,訴訟して争うということになる。武家の所領をめぐる相論の場合は文書主義に基づいて裁定されるが,村同士の山野河海をめぐる紛争は,「村の古老や近郷の証言によって解決が図られるのを特徴とした」(藤木〔2〕, p. 252)。そしてその相論の場で,権利の根拠として主張されるのは過去の漁場の利用実績―用益事実の持続―であった。中世においては,山野河海の占有と用益は,しばしば武力をも含む「村の自力」によって実現され,そのようにして積み上げられた先例が相論の場で力を持ったのである。藤木〔2〕(p. 271)は,「山野河海が上位の領有の体系に包摂されていることまでも否定しようというのではなく,その現場における当事者の占有の実現そのものが,まさしく近隣の村々(共同体)のあいだの,命をかけた用益事実の保全に委ねられていた」とし,「山野河海に関するかぎり,中世の村同士は,その用益をナワバリとして自力保全し,その用益事実を持続的に維持しうるかぎりにおいて,そこに村の権益と慣行を「先例」として主張しえた」という点を指摘している。そして,このような形で行使される「自力」は,まさにこの時代,前節で提起した資源系の囲い込みコストの中核をなしていたものと考えられる。資源利用をめぐる小競り合いが,村同士の物理的な暴力/ 武力を伴う紛争に発展し,上級権力を巻き込んだ相論として解決を目指すという過程は,資源系の囲い込みのコストを村全体として負担しているものと解釈することができる。一定の広がりを持つ地先海面全体を占用し用益事実を継続する,すなわち囲い込みコストを負担することが可能な主体としては,この時代においては村サイズの集団が必要であったのかもしれない。 また,このような漁場の利用実績が先例となって権利の源泉になるという構造は,現在に至るまで様々に存在している。現代の事例で言うならば,例えば葉山〔7〕が紹介する長崎県小値賀島のイサキ漁の事例がある(註10)。小値賀島の