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76 高知論叢 第97号画の作成を純粋に軍事的な判断に任せるべきであるという主張は許し難い,それ自体危険な考え方である。実際に多くの政府が普通に行っているように,軍人に助言を求め,純軍事的に判断するという方法は不合理である。それ以上に不合理であることは,戦争や戦役の計画を純粋に軍事的視点で策定するために,国家が保有する戦争手段をすべて軍人に任せるべきであるという理論家の主張である。今日の軍事機構が非常に巨大で複雑なものになったとしても,戦争の大綱は常に政府によって,すなわち技術的に言えば,軍事機構によってではなく,政治機構によって決定されるべきことは,広く経験によって示されている。」20「政治的な視点が戦争の開始とともに完全に放棄されるのは戦争が純粋な敵対感情に基づく必死の戦闘の場合にしか考えられない」21 軍による戦争の目標は敵の無力化であり,そこには国民の敵対的感情と敵対的意思が表れるが,あくまで戦争は政治の道具であったということを忘れてはならない,ということがクラウゼビッツの重要なテーゼである。 クラウゼビッツの戦争論を最もよく示すものは戦争の三位一体論である。クラウゼビッツは戦時国家を構成する要素を,国民,軍,政府と大別する。戦時における国民の性格は,盲目的本能を持ち,敵への憎悪と敵対的精神となる。軍は武力の保有によって,戦時こそ自由な精神活動が保証された存在となり,軍は武力の行使によって自己実現を図ろうとする。これに対してただ政府のみが合理的精神,純然たる知性を持っている存在である。したがって,軍の自己実現本能と敵対的性格を持った国民の精神が優先すれば最も危険であり,政治こそ戦争に優先させなければならないのである,と述べた。 戦時国家は,あくまで政治,軍,国民は三位一体でなければならないというクラウゼビッツの国家論と, 過去の日本の国家像を比較して図で示せば, 図1-5,図1-6のようになる。軍が政府を従属させ,国民の敵対感情を扇動して悲惨な戦争を経験した事例は少なくない。特に,旧日本陸軍参謀本部,軍令部は,天皇親裁という建前上の国体を利用して,天皇からも政府からも独立して,無制限に戦闘行為を拡大させた。統帥権の独立ではなく,分裂であり,陸海軍そ20 同上書343頁21 同上書341頁