097号

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戦争論の系譜(1) 77れ自体もばらばらな暴力装置であった。旧陸軍大学校において教科書にされてクラウゼビッツから,日本陸軍は最も重要なテーマを学ばなかった。 クラウゼビッツは,君主と軍,政治の関係について....

戦争論の系譜(1) 77れ自体もばらばらな暴力装置であった。旧陸軍大学校において教科書にされてクラウゼビッツから,日本陸軍は最も重要なテーマを学ばなかった。 クラウゼビッツは,君主と軍,政治の関係について以下のように述べている。君主は「軍事に対する一定の理解が不可欠であり……君主が直接国政を行わない場合,文書の処理に没頭している陸軍大臣,学識ある技術者あるいは野戦で有能な軍人でさえも,それをもってもっとも優れた首相になれるとは決して考えない。」22「戦争を政治の意図する目標に完全に適合させ,戦争のための手段を政策に完全に調和させるためには,政治と軍事の最高指導者が同一人物に統一されていない場合,適当な方法は,最高司令官を内閣の一員に加える以外にはない。それによって,内閣は彼のもっとも重要な決定に関与することができる。しかしこれは内閣すなわち政府自体が戦場の近傍に位置する場合のみ可能である。そうすれば重大な時間の遅れなしに決定することができるからである。」23 しかし,統帥権の分裂が深刻な事態を招いた事例をクラウゼビッツは知っていた。「もっとも危険なのは,最高司令官以外の軍人の内閣における影響である。これが,健全で有効な対応をもたらすことはほとんどない。フランスのカルノーが1793年から95年までパリから軍事行動を指揮した事例はまったく非難されなければならない。このような恐怖政治は,革命政府だけが行使できる手段だからである。」24 クラウゼビッツが問題視するカルノーの例とは何であろうか。18世紀末のフランスは周辺国との戦闘により危機的な状況であった。カルノーは国民公会の議員ではあったが,首相や陸軍大臣を差し置いて軍事問題を担当し大きな軍功をあげた。カルノーは軍政において徴兵制度の制定,軍需産業育成,軍制改革を指揮し,強大なフランス軍をつくった。実戦においても革命戦争を指揮し,陣頭で勝利を収めた。カルノーは勝利の組織者と賞賛されたが,フランスが外敵から勝利すると,次に待っていたものは国内政治の混乱とさらには内乱が始まり,ロベスピエール派の恐怖政治によって最後は亡命した。22 同上書344頁23 同上書344頁24 同上書344~345頁