097号

097号 page 91/212

電子ブックを開く

このページは 097号 の電子ブックに掲載されている91ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「電子ブックを開く」をクリックすると今すぐ対象ページへ移動します。

概要:
戦争論の系譜(1) 81(8)石原莞爾の統帥論 石原莞爾は,昭和の日本陸軍最高の戦略戦術家といわれ,日本陸軍を代表する知将とも言われた。石原は統制派と対立して失脚し予備役に編入されたが,満州事変を主導した....

戦争論の系譜(1) 81(8)石原莞爾の統帥論 石原莞爾は,昭和の日本陸軍最高の戦略戦術家といわれ,日本陸軍を代表する知将とも言われた。石原は統制派と対立して失脚し予備役に編入されたが,満州事変を主導した人物であった。昭和3年,石原は関東軍作戦主任参謀として満蒙領有計画を立案し,昭和6年板垣征四郎らとわずかの関東軍によって占領を実現した。これがきっかけとなり満州国が建国された。石原は「王,覇両文明の決勝戦」「東亜と西洋の最終戦争」をスローガンとし,「満蒙独立論」を主張した。 石原莞爾は昭和4年(1929年)7月長春での講話において,体系的に戦争観を語っており,その内容は『戦争史大観』として歴史に残っている。この講話において石原は軍の立場を代表するともいえる統帥論を述べている。 石原は,東亜諸国民の水平連合によって,欧米列強の覇道に対決すると言う東亜連盟構想を主張し,その一環として満州事変を起こした,そのために満州に「五族協和の王道楽土」なる満州国を建国すると主張した。石原は,日米両国による最後の世界戦争を準備するために,十年間は戦争をしない不戦論を提言した。26 石原は戦争の定義を「戦争とは武力をも直接使用する国家間の闘争」27と述べ,戦争の本質を「戦争本来の真面目は武力をもって敵を徹底的に圧倒してその意志を屈伏せしむる決戦戦争にある。決戦戦争にあっては武力第一で外交内政等は第二義的価値を有するにすぎない……持久戦争に於ては武力の絶対的位置を低下するに従い外交,内政はその価値を高める。」28 と,クラウゼビッツ,ジョミニとほぼ同様な戦争観を語った。石原自身もクラウゼウィッツを講演の中でも引用し「戦争は他の手段をもってする政治の継続に外ならぬ」と述べた。しかし石原は昭和の軍は政治の推進力として期待されてきたという結論を導く。石原は「明治維新以後薩長が維新の功に驕って,いわゆる藩閥横暴となった事が政党政治招来の大原因となり,政党ひとたび力を得るやたちまちその横暴と26 石原莞爾『戦争史大観』1929年7 月長春講話 中央公論社2002年53頁~56頁27 同上書51頁28 同上書52頁