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戦争論の系譜(1) 85 よほど優秀な君主が存在しても,統帥権を君主自体が掌握することは極めて困難であり,家臣に委任すべきであるという見解が思想家の大勢を占めた。まして国家事務が肥大化した近代以降において....

戦争論の系譜(1) 85 よほど優秀な君主が存在しても,統帥権を君主自体が掌握することは極めて困難であり,家臣に委任すべきであるという見解が思想家の大勢を占めた。まして国家事務が肥大化した近代以降においてはなおさらである。 ジョミニは,皇帝が軍の総指揮官となりえない場合には,行政事務に堪能なものと,幕僚将校の2名の有能な高官(将校)を配置すべきであると述べた。ただし,ジョミニは「不幸にもこのことは常に行われていない」という言葉を付け加えることを忘れなかった。 明治10年代から明治40年代までの日本には行政,軍を代表する有能な家臣であった伊藤博文と山縣有朋,そして明治大帝がいた。しかし,これ以降,天皇親裁を建前として,軍が軍事,政治の大権を占領して日本を破滅に導いたのが,日本の近代史の実相であった。軍は在郷軍人会をはじめとする勢力と世論を利用して,政府に軍事侵略を追認させ,これを既成事実化することは日本近現代史上通じて何度も行われた。暴力の無制限な増大が戦争の本質であり,政治主導なき戦争は悲惨な結末に陥ることはクラウゼビッツらが指摘したところである。昭和初期に表面化した軍の暴走は,統帥権独立の問題というより,統帥権の分散,統帥権の消滅と言うべきであり,巨大な官僚的権力となった陸海軍各派閥が,国民を道づれに自滅したに過ぎなかった。 次節において我々は明治憲法と統帥権論を検討する。