098号

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14 高知論叢 第98号権が独立し,統帥権は陸軍大臣によって支配されていた。21ドイツでは1840年代の欧州における政治的動乱の影響を受けて,ベルギー憲法を模範にして1850年に憲法が制定された。国王の権力が強大で....

14 高知論叢 第98号権が独立し,統帥権は陸軍大臣によって支配されていた。21ドイツでは1840年代の欧州における政治的動乱の影響を受けて,ベルギー憲法を模範にして1850年に憲法が制定された。国王の権力が強大である国家においては,憲法が制定される以前においては国務と軍務に関する事項は王権の下にあったが,議会開設後においては国務と軍務の主導権をめぐって王権と議会とは緊張関係の中にあったのが普通である。ただし,総じて議会開設後の軍政に関しては,国務大臣の軍政の範囲は憲法から逸脱していることが多かった。22ドイツと日本の例は王権と軍と国務の関係に関して,格好の比較材料をわれわれに提供する。欧州各国では1840年代,革命,動乱の中で憲法が制定される機運が生じた。ドイツにおいては1848年がその絶頂であった。フランクフルトをはじめ各地で憲法が制定され,議会が開設された。プロイセンにおいて,国民の要求を背景にして,国王はベルリンで憲法制定議会を招集した。1849年2月,下院を解散し選挙による議会によって憲法は承認され,1850年1 月に憲法は発布された。これは当時の君主国憲法の模範とされたベルギー憲法を参照して制定された。同憲法の規定は,国王の国事行為は国務大臣の参与と副署が必要であった。憲法制定前における,軍と国務の二元的組織は憲法体制の下では維持されなかった。19世紀前半には君主の下で軍務の国事行為がなされていた。ドイツにおける統帥権の独立は軍参謀内で力を持ったモルトケの存在が大きかった。モルトケは1858年から1888年までの30年間の長期にわたり参謀総長をつとめた。ドイツにおける統帥権独立は,皇帝と議会,軍隊の対抗の中で導入された。1858年は統帥権独立組織が成立した年であった。ドイツにおける軍務と国務が統一した時期は短期間であり,1858年皇太子ウイルヘルムが摂政になり,翌年1859年フォン・マントイフェル陸軍中将が人事課長になってから,統帥権独立の傾向が復活した。その後の人事課長も陸軍大21 中野登美雄 前掲書 138頁 戦前の日本において,統帥権独立の日独比較に関する研究の中で,軍部や国家主義に偏せず,あくまでアカデミズムを貫いた光彩を放つ研究は中野登美雄氏による『統帥権の独立』であった。22 「王権が強固であった国々に於いては憲法の採用後に於いても,其の行われた時期の長短,範囲の大小に差異こそあれ,軍隊に関する或る種の作用は,憲法の規定の如何にかかわらず国務大臣の立憲的責任の範囲から除外せらるるを普通とした」中野登美雄 前掲書 155頁