098号

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32 高知論叢 第98号第9条 1 日本国民は,正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し,国権の発動たる戦争と,武力による威嚇又は武力の行使は,国際紛争を解決する手段としては,永久にこれを放棄する。  ....

32 高知論叢 第98号第9条 1 日本国民は,正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し,国権の発動たる戦争と,武力による威嚇又は武力の行使は,国際紛争を解決する手段としては,永久にこれを放棄する。    2 前項の目的を達するため,陸海空軍その他の戦力は,これを保持しない。国の交戦権は,これを認めない。結明治政権がその制度設計当初において,統帥権が天皇にあることを宣言したことは,武家政権を否定した明治維新の理念としては当然であった。しかし統帥権が政党によって主導されることは,どうしても避けなければならない,という強い意志を軍は自らが解体するまで持ち続けていた。天皇親裁は建前であって実質的な親裁は実施されなかった。天皇親裁を建前として輔弼,帷幄上奏権をどの勢力が把握するかが軍,政治勢力間の焦点となる。実態を伴わない天皇親裁という建前が,結果として統帥権の解体を招いた。日本の強固な統帥権独立組織は,統帥権に,文官主導内閣が関与できないことを目的にしてつくられたものであった。しかし軍自体が統帥権独立組織そのものとなり,日本の官僚制そのものが持つ内在的問題点が軍に集約された。明治以降の日本において憲法は一度も改正された事がなかった。今日からみて最も改正の議論をすべきであった条項は,第4条,第5 条,第11条,第12条などであった。しかし,世論は憲法の改正を促さず,国体明徴,憲法運用の保守化を招き,結果として国民は自らの力では統帥権独立組織を排除出来なかった。日本において統帥権自体の独立制と統帥権独立組織が強化された要因は4点ある。第1は,日本において統帥権独立組織が設置された年は憲法制定の11年前,内閣制度発足の7 年前であり,憲法制定後において,旧来の統帥組織としての軍参謀本部が温存,強化された。逆に,ドイツにおける統帥権組織設置は憲法制定の10年後であった。この時間差が日独間で統帥権組織に違いが生じた要因の一つであった。