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46 高知論叢 第98号れる価値と剰余価値との因果関係がつくことになり,等価交換の非前提という主張と齟齬をきたす事態におちいることになるからである。「搾取の数学的証明」のもつ基本性格は,高尚にみえるその説....

46 高知論叢 第98号れる価値と剰余価値との因果関係がつくことになり,等価交換の非前提という主張と齟齬をきたす事態におちいることになるからである。「搾取の数学的証明」のもつ基本性格は,高尚にみえるその説明にはんして,労働力商品が登場しない事実に端的にしめされている(三野村暢「『搾取の数学的証明』と剰余価値論」,大石雄爾編『労働価値論の挑戦』大月書店,2000年 所収 参照)。等価物のもつ直接的交換可能性が価値表現の反面にすぎない関係とおなじように(Kapital, Ⅰ, S. 71f.),労働力商品の存在は,それ自身生産条件の排他的所有があらわす対立的な生産関係の反射規定である。資本と賃労働とは,生産条件の排他的所有というおなじ一つの関係がもつ二つの側面である。労働力商品は,『資本論』の剰余価値論の支点をなすだけに,それの不在の剰余価値論は,逆説である。資本主義とは,一言でいえば「貨幣と労働能力との交換にもとづく生産様式」(MEGA,Ⅱ /3・1,S. 93)である。2) ここで,等価交換の非前提が価値の非前提に帰着するというのは,あくまで「搾取の数学的証明」の主張を翻訳したものである。本文でのべたように,等価交換に重きをおかないとしても, それは, 必ずしも価値の非前提につながらない。商品は,等価交換か否かに関係なく,抽象的にみればひとしく価値で販売される。市場価格は,それが市場価値から背離するとしても,同一種類の商品の一般的な価値の表現だという面で,おなじ質的な性格をもつのと類似している(Mehrwert, MEGA,Ⅱ/3・3, S. 853)。「搾取の数学的証明」では,商品交換は,等価交換か否かにかかわらず,価値での販売という共通な規定をもつという要点の看過がある。だから,貨殖の秘密は,本質的に価値での販売に立脚する。3) 資本が剰余価値をうみだす運動が一番の基本事項だとすれば,それと関連して,貨幣の資本への転化が剰余価値生産にたいして先行する関係が看過されがちである。資本が剰余価値をうみだす因果は,貨幣の資本への転化が剰余価値生産に先行する関係を内包している。『資本論』第Ⅰ巻第2篇「貨幣の資本への転化」のテ-マは,剰余価値生産に先行してなりたつ流通部面での単純な貨幣の資本への転化にある。一般に,資本が剰余価値をうみだす事実はだれも否定しないが,第Ⅰ巻第2篇のテ-マ認識が不明確な現状は,資本という主体による剰余価値という客体の創造認識の希薄さを反映している。資本による剰余価値創造の軽視は,労働力によるその創造が生産条件の排他的所有の反射にすぎないという要点の閑却と通底している(拙稿「生産関係と資本の価値増殖」『高知論叢』第92号, 2008年 参照)。 ちなみに,資本主義は,「資本と賃労働との社会」(Kapital,Ⅰ, S. 191)であるのに,その経済的運動法則の分析書が『資本論(Das Kapital)』であるゆえんは,排他的所有になる生産条件としての資本は,それ自身で生産条件から排除された賃労働をともなうところにある。貨幣は,相対的価値形態の対極にあるため,それ自体「一つの社会的関係」(『哲学の貧困』国民文庫,高木佑一郎訳,115ページ)の表現であるのとおなじように,資本は,対極に賃労働を必然的に随伴するため,それ自身「生産関係」(Kapital, Ⅲ, S. 822)である。4) 経済学史上, 重農学派までは, 剰余価値生産をもって, 資本が剰余価値をうみ