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価値による剰余価値の創造47だす主体と客体との関連として意識されることはなかった。重農主義は, 重商主義から進歩して, 剰余価値の源泉を流通部面から生産部面にうつす功績をもつ一方,農業部面での播種に比した....

価値による剰余価値の創造47だす主体と客体との関連として意識されることはなかった。重農主義は, 重商主義から進歩して, 剰余価値の源泉を流通部面から生産部面にうつす功績をもつ一方,農業部面での播種に比した収穫の増加に剰余価値をみいだしたにすぎないからである。「剰余価値の形成が,資本そのものからは説明されないで,ただ,資本の一つの特定の生産部面である農業だけのものとして主張されるのである。」(Kapital,Ⅱ, S. 222)古典派経済学を代表するスミスとリカードにいたれば,資本が剰余価値の母胎として認識される前進をしめす半面,その資本は,生きた労働と対照的な形態にある「蓄積された労働」(リカード『経済学および課税の原理』雄松堂書店,堀 経夫訳,410[原]ページ)として,生産条件の所有関係ぬきにつかまれた。資本を排他的に所有された生産条件として社会的につかみ,その排他的所有の歴史的な産物として剰余価値の形成を解決したのが,マルクスである。だから,価値が剰余価値を創造する因果からの脱線は,古典派からマルクスへの経済学の発展にたいする逆流である。む す び 本稿で,価値からなりたつ資本が剰余価値をうみだすという『資本論』の立場にたって,等価交換を前提しないという名目のもと,本質的には価値による剰余価値の創出という特殊歴史的な因果関係をないがしろにする「搾取の数学的証明」を吟味した。ようするに,価値そのものの自己増殖をとかないかぎり,『資本論』の剰余価値論は,根底からくつがえされることになる。「搾取の数学的証明」と『資本論』との二律背反の性格が,必ずしも承認されていないとすれば,その原因は,価値による剰余価値の創造をとくマルクス特有な方法が明確になっていないためである。おもうに,『資本論』から逸脱した議論は,マルクスに独特な方法が掘りさげられていない否定的な現状と背中あわせであるばあいがすくなくない。たとえば,賃労働者の支出する剰余労働が強制労働である社会的な性格にたいするマルクス批判も,じつのところ,蓄積財源を生産する労働をそのまま剰余労働と同一視するポピュラーな説明と対応関係にある。蓄積財源を生産する労働が剰余労働と混同されれば,剰余労働≠強制労働という主張がなりたつ。剰余労働≠強制労働というマルクス批判は,本源的には蓄積財源をうむ労働を剰余労働とみなす考え方によってなりたっている。だから,剰余労働≠強制労働という所説にたいする反論は,さかのぼって蓄積財源をつ