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8 高知論叢 第99号中山忠能 関白(三條公) 内大臣 徳川慶喜 議奏 若干人 公卿3 人 藩主7 人 公卿2 人 参議 若干人 岩倉具視など14人 六官 神祇官 内国官外国官 会計官 刑部官 軍務官」尾崎はこの....

8 高知論叢 第99号中山忠能 関白(三條公) 内大臣 徳川慶喜 議奏 若干人 公卿3 人 藩主7 人 公卿2 人 参議 若干人 岩倉具視など14人 六官 神祇官 内国官外国官 会計官 刑部官 軍務官」尾崎はこの人事案を以下のように評している。「以上長官は親王,諸王,公卿,諸侯を以て之に任じ,次官は公卿,諸侯,大夫,士庶人を以て之に任ず。士庶人と雖も次官に任ずることを得るは賢を貴ぶ所以なり」14 しかし戸田の構想は採用されなかった。明治天皇の実質的な治世は慶応3 年12月の王政復古に始まる。この時の官制は三職の総裁,議定,参与をトップとして7 課,後に8 局が設けられた。三職には旧藩主,公卿が就任した。前太政官制の三職制は慶応3 年12月9 日(1868年1 月3 日)から慶応4 年閏4 月21日(1868年6 月11日)までの約5 ヶ月であった。同官制の革新性は,第一に,摂政,関白の廃止によって,朝廷における上級公家,摂関家支配からの脱却,第二に征夷大将軍,江戸幕府の廃止,以上による「天皇親裁」の確立であった。大政奉還後の政体は,改革派の公卿と雄藩諸侯,雄藩藩士による野合政権であった。総裁,議定,参与の三職の人事が定められた。総裁には熾仁親王が就任し,議定には中山忠能,三条実愛ら公卿5 人,徳川慶勝ら藩主5 人,参与には大原重徳,岩倉具視ら公卿5 人と諸藩藩士から,尾張藩3 人,越前藩3 人,安芸藩3 人,土佐藩3 人,薩摩藩3 人が就任したが,長州藩は新政府外におかれた。この時期の三職で,その後の太政官制期以降まで,朝廷の中枢としての政治生命を維持できた政治家は,有栖川宮熾仁親王,中山忠能,岩倉具視,大原重徳だけである。他の公卿,藩主は一様に太政官の第一線から排除された。三条実愛に代わって三条家分家から長州に近い三條実美,薩摩の大久保らと太いパイプを持つ岩倉具視が,以後朝廷の中枢としての実権を確立した。三條と岩倉の朝廷内の権力は薩摩,長州の政治力を背景にしていた。太政官制後,熾仁親14 戸田雅樂は「後日に至り後藤伯に予の草稿中関白,内大臣,議奏,参議の文字を変じたるの事情を聞きたるに,岩倉公之を見て大いに之を賛したるも,其名議陳腐なれば王政維新の際人の耳目を一新するの必要ありとて,其の職掌中の文字を取って直ちに官名と為し,総裁,副総裁,議定,参与と改めたるなりと」と自叙伝で述べた。同上書92頁