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明治太政官制成立過程に関する研究 1 9王は象徴的役割を担う事となる。太政官制成立前,新政府は人材登庸第一の御急務とする太政官布告を出した。「一太政官始追々可被為興候間其旨可心得居候事 一朝廷礼式追々御....

明治太政官制成立過程に関する研究 1 9王は象徴的役割を担う事となる。太政官制成立前,新政府は人材登庸第一の御急務とする太政官布告を出した。「一太政官始追々可被為興候間其旨可心得居候事 一朝廷礼式追々御改正被為在候得共先摂門流之儀被止候事 摂・門流の儀止められ候事。一旧弊御一洗ニ付言語之道被洞開候間見込有之向ハ不拘貴賎無忌憚可致献言且人材登庸第一之御急務ニ候故心当之仁有之候者早々可有言上候事」15 爾後,岩倉具視,三条実美の系列下による官僚主導政権に移行する。これらは岩倉具視へ大久保利通らが強く働きかけたものであった。2.明治太政官制の画期(1)太政官制の時期区分新体制を明確にした政体書16は五箇条の御誓文を国家の基本方針として,太政官への権力集中を明確にした。政体書において「天下の権力総てこれを太政官に帰す」と定められた。しかし,この時点の国家権力は,幕府,関白,守旧派の公卿を排除したに留まった。則ち,国家権力は,改革を主導した公卿,倒幕を主導した藩主,一部藩士が国家の中枢にあった。東京奠都と版籍奉還を契機にこの体制は変化する。東京奠都は京都に根付いた守旧派の公卿と宮中女官らの影響を排除し,版籍奉還の全国化は藩主の影響力を国政から排除した。それを主導したのは倒幕を主導した大久保を筆頭とする旧藩士であった。薩長土肥四藩の藩主にいち早く版籍奉還を行わせた事は,表向きは維新後における旧15 太政官布告第13 慶応3 年12月9 日16 「内外百官此旨を奉体し,確定守持根拠する所有りて疑惑するなく,各其職掌を尽くし,万民保全之通,開成,永続せんを要するなり。一,天下の権力,総てこれを太政官に帰す,則政令二途出るの患無らしむ。太政官の権力を分つて立法,行法,司法の三権とす,則偏重の患無らしむるなり。一,各府・各藩・各県,皆貢士を出し,議員とす,議事の制を立つるは,輿論 公議を執る所以なり。一,官に在る人,私に自家に於て他人と政事を議する勿れ。若し抱議面謁を乞ふ者あらば,之を官中に出し公論を経べし。一,諸官四年を以て交代す公撰入札の法を用うへし。但し今後初度交代の時,其の一部の半を残し二年を延して交代す。断続宜しきを得せしむるなり。若し其の人衆望の所属あって去り難き,猶数年を延さざるを得ず。一,官職,太政官分ちて七官と為す地方官分ちて三官と為す」慶応4 年戊辰閏4 月