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明治太政官制成立過程に関する研究 1 11藩主の権威と加増をねらったものであるが,旧藩の権威と徴税権は士族官僚に移り,彼らの政治的位置を高めることにのみ有効であった。士族官僚にとって版籍奉還の真のねらいは....

明治太政官制成立過程に関する研究 1 11藩主の権威と加増をねらったものであるが,旧藩の権威と徴税権は士族官僚に移り,彼らの政治的位置を高めることにのみ有効であった。士族官僚にとって版籍奉還の真のねらいは第二の明治維新,第二のクーデター実施であった。2年後の権力闘争にとって重要な事項は,官僚の任期を4 年とし,2 年ごとに半数を改選するとした政体書第9 条であった。図2 における,太政官制の三期までに官僚制が確立した事をもって太政官制の成立期とする。この時期までに,旧藩主,三條実美,岩倉具視以外の公卿は閑職に退き,官吏による官僚制の構築が完成する。明治4 年廃藩置県によって官僚制が確立した。官僚派は各省の卿を兼務,官僚組織の事実上のトップであり,かつ政治的な実権を有する存在となった。徴税機構と軍事組織を掌握した官僚組織を自ら率いて,下級官僚の実質的な人事と予算を委任された存在となった。軍は,廃藩置県以前にはまだ実態としては旧藩兵であり,実質的な中央集権的な軍隊は存在せず,天皇の軍隊は各藩の石高に応じて徴用するしかなかった。軍官僚派の影響力が軍全体に及ぶようになった時期は廃藩置県以降であるが,戊辰戦争直後からすでに,大村・山縣派が軍主流派を占めるなど,軍内は旧藩勢力別の派閥が形成された。徴兵制が施行される明治6 年以前において,軍事費の1 割を,政商に委ねた山城屋事件17の例の如く,陸軍長州閥は軍財政に関してすでに独自の権限を有していた。太政官制の画期は,図2の様に四期があるが,政権の主体を考慮した時期区分は以下の各期に区分できる。公卿・旧藩主の野合体制(慶応4 年),太政官体制の成立=三條・岩倉・参議連合体制,版籍奉還(明治2 年1 月~ 7 月),官吏選挙・保守派の巻き返し(明治2 年7 月),官僚支配体制の成立と廃藩置県(明治4 年7 月),外征派排除と立憲政体詔(明治8 年),参謀本部設置・天皇親政の試行と崩壊(明治11年~17年),太政官制度から内閣制度へ(明治18年~),憲法体17 明治5 年,陸軍省の御用商人山城屋和助(元騎兵隊士で山縣有朋の盟友)が陸軍省から無担保で借りた公金を生糸相場に投機して失敗, 返済できないために陸軍省内で割腹自殺した。山城屋の借りた公金は国家歳入の1 %であった。山縣有朋らは事件を抹殺し,江藤新平の司法省や軍内の薩摩閥と対立。