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12 高知論叢 第99号制へ(明治23年~)。以上の各期を図2 に,図3 に明治初期各政治的潮流の消長を示した。(2)「万機親裁」の意義明治元年2 月3 日,天皇は王政復古後初めての行幸を行った。行幸した場所は同じ京....

12 高知論叢 第99号制へ(明治23年~)。以上の各期を図2 に,図3 に明治初期各政治的潮流の消長を示した。(2)「万機親裁」の意義明治元年2 月3 日,天皇は王政復古後初めての行幸を行った。行幸した場所は同じ京都の二条城太政官代であった。二の丸奥書院にて総裁熾仁親王,前右大臣鷹司輔熈以下,公卿,諸侯が奉じた。本丸白書院にて総裁,議定,上参与は中段に,下参与等は廂に座した。その場では,賊徒追討と大総督設置を議した。天皇は総裁を簾の中に召して親征の令を下した。18太政官代は九条道孝邸におかれたままであった。太政官代の九条道孝邸には,毎日巳の刻に新政府の官僚は参集していた。また,一条院里坊におかれていた参与役所は明治元年2 月14日,太政官代と同じ場所の九条邸に移された。明治元年2 月27日両役所はともに二条城に移され,太政官代の役所機能が強化された。王政復古以来同じ場所になかった太政官の場所が初めて決定した。明治元年閏4 月21日,政体書発布は京都御所においてなされた。「親裁」業務の日課について『明治天皇紀第一巻』には以下に記されている。「今や王政復古し,万機を親裁したまふに因り,後宮より表御殿に移御,日々辰の刻御学問書に出御して政務を総攬したまひ, 時に八景間に臨むみて輔相の政務に鞅掌して翼賛に勤むるを覚,……申の刻を以て入御の旨仰出さる」「主上日々出御,万機を総攬したまふ,玉座は八畳の間中央に二枚の高き畳を敷き,……臣等敷居を隔てゝ候す,議定・参与或は列参し,或は単独に候す,抑ゝ斯くの如き盛事は実に千余年来絶無に属す」19 政体書には官僚について「親王,公卿,諸侯にあらざれば一等官に昇るを得ず,是れ親を親み大臣を系する所以なり,藩士,庶人と雖も猶二等官に至るを得せしむは賢を貴ぶ所以なり」とあり,藩士はこの時期においては一等官になる道は閉ざされていた。これより先,天皇は大阪に行幸し公卿,諸侯を召し,慶喜が罪に服した事18 同上書 611頁19 同上書 705頁