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明治太政官制成立過程に関する研究 1 21久保の見解が衆目とほぼ一致していたといえる。大久保利通は薩摩に近い岩倉に対して,長州の木戸を重用するように進言した。29岩倉が東京に拠点を移すより先,大久保は朝廷の....

明治太政官制成立過程に関する研究 1 21久保の見解が衆目とほぼ一致していたといえる。大久保利通は薩摩に近い岩倉に対して,長州の木戸を重用するように進言した。29岩倉が東京に拠点を移すより先,大久保は朝廷の大胆な改革についてしばしば岩倉に提言した。大久保は明治元年2 月「宮廷改革に関する意見書」を岩倉に提出し,「大阪行幸ヲ機トシテ宮廷ノ改革ヲ断行セラレンコト」を建言した。天皇の政務について,巳の刻から申の刻まで天皇は出勤して万機を奏聞,御座に女房出入り厳禁,出勤中は総裁議定参与に御目見すること,侍読を設置すること,馬術の訓練をすることなどを建言した。30大久保利通は明治元年5 月,関東に随行する人物を厳撰すべしとして,人事についても岩倉に強く働きかけた。「関東平定之今日ニ断然御治定之事実ニ就御大事議論……関東エ被差下御人撰之事尚取捨モ可被成る思食モ被為在トハ奉存候得共格別多人数ニ及申間舗カ且参与人数之処ハ尚相決シ申上候事ハ出来申マシク関東別而御大事御人撰格別ニ可有之事」31大久保の権力は,朝廷における岩倉の影響力に依拠していたことが岩倉の上京を繰り返し懇願していたことからも窺える。32 岩倉の新政府への直接的な影響力は岩倉自身が京から東京への転居によって発揮された。岩倉具視は岩倉門下の東京在住官僚多数を集めて訓示した。「具視既ニ東京ニ至ル曾て門下ヨリ出ツル所ノ在官諸氏ニ暁諭スル所アリ 余ト其心ヲ同フシ其力ヲ合セテ共ニ報效ヲ図ランコトヲ望ム 余惟フニ天下ノ事ハ中興ノ業ヲ大成スルヲ以テ尤難シトス 君臣上下動モスレハ其心安ンシテ其務ニ怠リ易シ」33という,恰も関白の如き訓辞を行った。すでにこの時,三條実美,岩倉具視は旧関白にも匹敵する存在であったが,29 岩倉公への上書「総裁局顧問木戸孝允を重用センコトヲ進言」明治元年3 月29日『大久保利通文書二』30 『大久保利通文書二』227頁明治元年2 月31 大久保利通 岩倉公に呈せし意見書「関東平定策及ヒ東下ノ人撰ニ付キ具陳」『大久保利通文書二』明治元年5 月8 日32 「岩倉具視議定となるこれより東京で実務する」明治2 年5 月15日『岩倉公実記中』725頁 岩倉具視が上京したのは明治2 年5 月であった。岩倉上京とともに多くの岩倉閥の藩士が同行し,これ以降大久保ら官僚派の主導権が確立した。彼ら薩長旧士族の政治力が本格的に確立する時期は,岩倉が東京で執務をとる時期と重なる。33 『岩倉公実記中』711~713頁 明治2 年4 月29日