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22 高知論叢 第99号維新前とは異なり,実権は士族出身の官僚によって握られつつあった。官僚の権力の背景は国家財政と軍事力であったが,この時期においては未だ旧藩政と併存していた。明治元年12月,大久保利通は....

22 高知論叢 第99号維新前とは異なり,実権は士族出身の官僚によって握られつつあった。官僚の権力の背景は国家財政と軍事力であったが,この時期においては未だ旧藩政と併存していた。明治元年12月,大久保利通は岩倉具視に高級官僚を登用する事について「人材登用の意見」を提出した。同文書には「人材撰挙之儀ハ政之大根軸……公卿若手三・四名諸藩より七・八名極御精撰」とある。大久保は軍政人事に関しても,岩倉への書簡の中で「軍務官の人撰に関する意見書」として,軍務官副知事以下の任命は「精撰之上被仰付候」34と述べた。大久保の提言に沿って太政官高級官僚35への岩倉・大久保系士族が多数登用された。このことは政体書に明記された官吏公撰制への布石となった。官吏人事は大久保,岩倉の東京奠都後の最大の課題であり,明治2 年において,参議に士族が登用され,士族官僚制がひとまず確立したことによって官吏公撰を再び行う必要はなくなった。明治2 年の官吏公撰制によって自らが参議となることは,大久保にとって,民主的装いを取った静かなクーデターであった。政体書に明記された,選挙という武器を行使することによった巧妙な戦略であった。参議として選出されなかった大村益次郎は,共和制に繋がるとしてこれに異を唱えたが,これとて権力闘争が決着した選挙後の発言であった。東京奠都後における政府官吏の人事を指揮した人物も大久保利通であった。大久保は維新功臣や幕府官吏の新政府登用の可否,朝廷公卿改革について岩倉具視から諮問を受けこれに建議し実行させた。「岩倉公の諮問に対する答申書」において東京旧幕吏を一掃しなければいけないとして「東京府会計局ニオヒテハ旧貫に仍テ其マヽ幕吏を用ヒ」たが,旧幕吏が去ったので新たに2 名の幹部を雇用すること,刑法官を設置,諸藩士を雇用,太政官から出張する刑法官として江藤新平らを雇用,会計官を太政官から出張させ,東京府との人事交流を行うことなどを答申した。36一方で大久保利通は,大原重徳ら公卿が議定になることに強く反発した。大34 『大久保利通文書二』明治元年12月25日35 三等官以上に参議以上を選出するための選挙権が付与された。36 『大久保利通文書二』明治元年2 月