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明治太政官制成立過程に関する研究 1 23久保は,37「大原卿議定云々之議承ル。嗚呼是ヲ以テ事之成可カラザルヲ知ル。実ニ慨歎ニ堪エザル次第ナリ」38 と述べた。大原重徳は天皇が京を離れることに最後まで反対して....

明治太政官制成立過程に関する研究 1 23久保は,37「大原卿議定云々之議承ル。嗚呼是ヲ以テ事之成可カラザルヲ知ル。実ニ慨歎ニ堪エザル次第ナリ」38 と述べた。大原重徳は天皇が京を離れることに最後まで反対して抵抗した人物であった。廃藩置県までの時期に於いて,官僚制の主体となる旧藩士出身の官僚からの上奏は多くない。しかし,彼ら官僚派はこの時期において直接天皇への上奏する権限はなかったが,岩倉具視に対して意見書を数多く提出した。大久保等薩摩閥と長州閥は版籍奉還後の主導権争いが,官吏登用人事に関して生じており,大久保と木戸,伊藤の協議と妥協が為された。39 太政官における官僚派間の関係は復古派と官僚派の対立を内に孕んでいた。37 大原重徳は孝明天皇に重用されたが,日米修好通商条約の調印のための勅許に岩倉具視らと反対して謹慎させられる。慶応2 年には親幕派の中川宮や二条斉敬らの追放を試みるが失敗して幽門させられた。後に許されて,明治元年(1868年)には従二位・権中納言に進み,参与・議定など新政府の役職を務めた,正二位。大原重徳は明治天皇の東京行幸に馬で乗り付けて阻止しようとするなど,京の公卿の政治的役割を温存させるための中心的な役割を果たした。明治元年9 月20日天皇は江戸への最初の行幸を行い,京都を発し江戸へ向かった。この日「権中納言大原重徳馬を馳せて至り,車駕の京都に還幸あらんことを建言す」しかし,岩倉具視はこれを退けた。『明治天皇紀第一巻』839頁38 『大久保利通日記』明治2 年5 月2 日37頁39 伊藤博文「猶土地兵馬之権ヲ還スコトヲ為サス……天下ノ大政ヲシテ一斉ニ帰セシメント欲シ土地兵馬ノ権ヲ併セテ奉還センコトヲ請フ」「長薩肥土四版籍奉還ノ事」『岩倉公実記中』670頁 木戸孝允「吾長藩ヲシテ薩藩ト同ク其魁首タラシメンコトヲ願フ因テ大久保ト之ヲ協商シ其経画略ホ定マル」『岩倉公実記中』678頁