099号

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2 高知論叢 第99号用語であり,首班とは末端の軍リーダーと同義である。幕末に形成された開明派公卿と下級武士団の連携が,維新政府の「万機親裁」体制を形成するに到った過程であることは誰しも否定できないことで....

2 高知論叢 第99号用語であり,首班とは末端の軍リーダーと同義である。幕末に形成された開明派公卿と下級武士団の連携が,維新政府の「万機親裁」体制を形成するに到った過程であることは誰しも否定できないことである。その中心は,官僚派というべき,それまでの日本にはなかった,全く新たなタイプの志士出身の実務官僚であった。彼らの手によって日本の政府と官僚制度は作られ,官僚が日本の政治と行政の実権を掌握した体制が,「万機親裁」体制であった。彼らは新政府の組織,下級官僚の人事,徴税,統治権を委任された高官であった。参議の名称は旧朝廷の位階制では,四位相当の身分卑しい地位であったが,維新後の参議との連続性はない。しかし,維新後の参議は大臣以上の存在であると天皇に言わしめた。1官僚組織の概要が形成された時期は明治元年から4 年までであった。佐々木克氏はこの時期の志士と官僚に関する研究で先駆的業績を残した。2太政官制成立過程については永井和氏の研究がある。3 永井氏は太政官制に関して,1877年までは,前近代的な天皇のあり方がそのまま継続していたが,1877年から1879年の間に太政大臣と天皇の関係が変化し,太政官による一元的輔弼制が内閣と軍部による多元的輔弼制に変化したとする。永井氏によれば多1 明治天皇は次のように側近に言った記録がある。「従来内閣に於ける参議の権力強大にして,実に参議兼大臣の観ありき,自今以後大臣たる者力めて参議を統御すべしと宣したまへり」『明治天皇紀第五巻』28頁大久保利通暗殺の凶徒が書いた檄文には「上天皇陛下の聖旨に出づるにあらず,下衆庶人民に由るにあらず,唯権官数人の臆断専決する所たり云々との意を記せり,是れ天下一般の所論にして,其の実なきにあらざれば,万機親裁の実を挙げたまわんこと最も急務なりと,乃ち其の趣を奏請することに決す」とあり,「天皇親裁派」を勇気づける契機となった。この時期の侍講佐々木高行は,「親政といっても内実は大臣に委任している。2, 3人の権力者の独裁になっていると思われている」と述べた。『明治天皇紀第五巻』410頁2 佐々木克『志士と官僚―明治を創業した人びと』講談社2000年1 月,はこの分野の先駆的研究である。3 永井和氏は家永三郎氏との論争において,近代の天皇とは基本的には臣下の輔弼にもとづいて行動する受動的君主ではあるが,限定的には自らの意思で親政的権力を行使する能動的親政君主としても現れうる「輔弼親裁構造のもとでの受動的君主」であり,明治憲法の制定以降は,「輔弼」なる概念は国務大臣輔弼にのみ限定して適用されるべきだとする家永氏の見解に対して,国務大臣に限定せず,統帥府,内大臣,宮内大臣,枢密院などすべてを天皇の広い意味での輔弼者と解釈する,多元的輔弼制が近代天皇であるとした。(家永三郎・永井和「輔弼をめぐる論争」『立命館文学』521号1991年)