099号

099号 page 5/122

電子ブックを開く

このページは 099号 の電子ブックに掲載されている5ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「電子ブックを開く」をクリックすると今すぐ対象ページへ移動します。

概要:
明治太政官制成立過程に関する研究 1 3元的輔弼制とは,国務・軍務・宮務の三領域にわたって三輔弼者が並立して,天皇が実質的親政を行うようになった体制である。4本稿は,明治天皇の肉声と各派の上奏を検討するこ....

明治太政官制成立過程に関する研究 1 3元的輔弼制とは,国務・軍務・宮務の三領域にわたって三輔弼者が並立して,天皇が実質的親政を行うようになった体制である。4本稿は,明治天皇の肉声と各派の上奏を検討することによって,これら先行研究とはやや異なる視覚から,日本の官僚制成立過程を明らかにしようとする試みである。1.幕末期朝廷と上奏事項(1)幕末の上奏事例幕末期朝廷は幕府権力と諸藩,天皇と公卿間の力関係によって幾度か時代を画した事件があった。その背景には,将軍と天皇の代替りによる政治諸勢力の変化,幕府諸藩の軍事力バランス,攘夷派と公武合体派の力学,下級公卿と西南雄藩の連携があった。古代からの摂関政治は,江戸時代にも一定の影響力を有したが,幕府に委任してきた外交・政務に朝廷が関わるようになると朝廷の権威が増し,天皇,関白,公卿の軋轢が国政の動向を左右するようになった。ここに孝明天皇と家定の急死という事件は,朝廷と幕府,諸藩の関係を一変させた。明治天皇が即位すると,朝廷の新しい実権は天皇の外祖父中山忠敬を中心に,清華家の出自である三條実美,さらに身分が低い公卿である岩倉具視が,公家と西南雄藩を掌握するまでになった。朝廷での三条と岩倉は慶応三年までは同一の歩調をとることはなかったが,長州に強い人脈を持つ三條実美と薩摩に人脈がある岩倉具視の融和と連携によって,藩士出身の官僚派は朝廷と一体化されることとなった。幕末期公卿間の攘夷をめぐる数回の事件は千年に及ぶ朝廷の歴史を揺るがせるに十分であった。安政5 年,関白九条尚忠が朝廷に条約の議案を提出したと4 永井和「太政官文書にみる天皇万機親裁の成立」『京都大学文学部研究紀要』41,2002年「明治天皇はいつから近代の天皇となったのか―万機親裁と大元帥の成立―」(ソウル大学校国際学大学院日本研究センター2004年)において太政官正院の決裁文書式から太政官制を以下の4 期に区分した。第1 期(1871年8 月から1873年5 月まで),第2 期(1873年5 月から1877年まで),第3 期(1877年9 月から1879年4 月まで),第4 期(1879年4 月以降)