099号

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4 高知論叢 第99号ころ,岩倉具視・中山忠能等合計88名の公家たちが条約案の撤回を求めて抗議の座り込みを行った。過半数を大きく上回る公卿が慣例を無視した行動を起こした大事件であった。5 さらに,元治元年には....

4 高知論叢 第99号ころ,岩倉具視・中山忠能等合計88名の公家たちが条約案の撤回を求めて抗議の座り込みを行った。過半数を大きく上回る公卿が慣例を無視した行動を起こした大事件であった。5 さらに,元治元年には公卿による,伝奏,上書38人の横浜閉鎖建議,58人連署上書事件と翌年の慶応2 年(1866年)追放されていた公家の復帰と朝廷改革を建言するため,それまでの朝廷の慣例を破った,廷臣二十二卿列参事件が発生する。以後,幕末期において外交をめぐる朝廷,諸藩,幕府の政論が分裂し,天皇への上奏,裁可が深刻な国論分裂の要因となった。朝廷において公卿間の派閥抗争と,関白の上奏権の慣例を無視したことが,公卿の分裂と三条ら七卿の追放,廷臣二十二卿列参事件をめぐる岩倉の謹慎処分につながった。幕末の上奏,奏聞,伝奏は,摂関家から出る関白の強い権限の下にあり,また朝廷から武家への伝奏を誰が担い,如何なる事項を伝奏するのかは公卿の位置を左右するものだけに,攘夷,開港,という国論を分裂する政策への伝奏が政争の焦点であった。その中心は下級公卿であった岩倉具視と,清華家出身の三条実美であった。彼らの狙いは摂関家の旧権力を下級武士と連携して打破することにあり,そのスローガンが「万機親裁」であった。以下は身分別にみた幕末の3 年間における孝明天皇への上奏件数である。ただし,いずれも『孝明天皇紀』に記載されているものである。将軍,藩主等からの上奏は元治元年以降急減し,代わって公卿からの上奏が増加している。これは関白,将軍の地位の低下と無関係ではないであろう。元治元年から慶応2 年における,孝明天皇への公卿,将軍,藩主等からの伝5 孝明天皇は条約締結反対の立場を明確にして勅許を裁可せず,条約の勅許を拒否した。老中は辞職に追い込まれ,関白九条尚忠も内覧職権を停止された。幕府は騒動を起こした公卿88人の当事者の多くを処罰へと追い込んだ。図1 孝明天皇への上奏件数 『孝明天皇紀第五巻』より作成元治元年慶応元年慶応2年公 卿5 2 9将 軍6 2 1藩主等11 3 3