099号

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6 高知論叢 第99号し,各国戦艦の砲艦は祝砲をあげた。兵庫開港と前後して王政復古の大号令が発せられ,「万機親裁」が宣言された。12月6 日,王政復古の期日決定のために岩倉具視は,大久保利通と謀った。6 日夜大....

6 高知論叢 第99号し,各国戦艦の砲艦は祝砲をあげた。兵庫開港と前後して王政復古の大号令が発せられ,「万機親裁」が宣言された。12月6 日,王政復古の期日決定のために岩倉具視は,大久保利通と謀った。6 日夜大久保邸にて,西郷隆盛,岩下佐次右衛門,吉井幸輔,伊地知正治と相談した。その後,中山忠敬,三條実愛と相談し, 9 日と決めた。後藤象二郎は10日を主張したが岩倉は退けた。11 中山忠敬は密奏し,聖断を仰いだ。王政復古大号令を発する前夜,朝議は紛糾したとみられ,徹夜に及んだ。辰の刻を過ぎて摂政,議奏,武家伝奏,国事御用係は退朝した。岩倉は摂政以下退朝の報を待った。12天皇は岩倉具視に復飾参内を命じ,岩倉は王政復古大号令の文案を持参して参朝した。中山忠敬,三條実愛は岩倉を待ち, 3 人で御前に会い,王政復古大号令を上奏した。3 人は小御所に退き,熾仁親王,大原重徳,万里小路博房,山内豊信,島津茂久などに参朝を促した。慶応3 年12月9 日,王政復古大号令は皇居御学問所において発せられた。慶応3 年12月9 日(1868年1 月3 日),慶喜は城内二の丸御殿大広間に,10万石以上の藩の代表40名を召集し,大政奉還の上奏案を提示した。この時天皇は14歳であり,前関白ら22人の公卿の幽囚を解き,岩倉もその後入洛を許された。これ以降新政府体制にむけた骨格が成立する。幕末の王政復古のクーデターは二つの側面があった。慶応3 年から4 年にかけての第一段階は,幕府を排除し有力諸藩の連合政権の樹立という武家社会のクーデターの側面,そして東京に都を定めることにより摂関家と京都の公卿社会から脱却して下級の公卿が朝政の実権を掌握するという側面がある。戊辰戦争の終結後から, 国家の大勢が決するまでには第2 の静かなクーデターが必要であった。それが明治元年,政体書体制から明治4 年廃藩置県までの時期である。この時期には公卿と武士集団それぞれの権力闘争があった。第一に,公卿集団の中で復古派の組織的活動が見られたこと,第二に版籍奉還後において旧藩主の力が失われ,代わって国家財政を掌握する官僚集団が太政官11 『明治天皇紀第一巻』 554頁12 同上書 557頁