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象徴天皇と神話9ウツシクがウシハクとなり,ウシハクは,主となり,ウジ氏に繋がった。その語源をたどれば,今日中国地方に伝わる備中神楽にその痕跡が残っている。備中神楽は宮神楽と荒神神楽がある。宮神楽は広範....

象徴天皇と神話9ウツシクがウシハクとなり,ウシハクは,主となり,ウジ氏に繋がった。その語源をたどれば,今日中国地方に伝わる備中神楽にその痕跡が残っている。備中神楽は宮神楽と荒神神楽がある。宮神楽は広範囲を領土とする氏神例大祭に奉納される神楽であり,その氏神をウスハク又はウシハクと云う。土地の人々を氏子(ウジコ)と言う。通常,榊舞,猿田彦の命の舞い,国譲りの能,八重垣の能の順序で奉納される。これに対して荒神神楽は小集落の先祖神を祭る荒神社式年祭に奉納される神楽を云う。この場合は土地の人々を産子(ウブコ)と言う。(2)『古事記中つ巻』のシラス『古事記伝巻十九』神武天皇巻18には神武天皇は「ウネビノカシバラノミヤニマシマシテ アメノシタシロシメシキ19」とある。高千穂宮においては「看天下政」(マツリゴトヲバタヒラケクキコシメサム)と記されている。『古事記』では神武天皇には天つ神の御子の敬称が使用された。高千穂峰を降りて日向から東征して吉野に向かうまでに,神武が征服した王は国つ神の御子と記されている。天下った天つ神の御子は物部氏,穂積氏の祖先を派遣して各地の荒ぶる神々を平らげた,として神武天皇の巻を結んでいる。神武が戦いながら東征し,天つ神の御子として,各地の国つ神を何人も討ち滅ぼした後「畝火の白橿原宮に座しまして天の下治しらしめしき20」とされ,それ以前においては「治天下」は使われていない。本居宣長は治をシラシメスと訓じた他に,故所知をシラシシ,斯羅須をシラスと訓じている。本居宣長によれば,斯羅須(シラス)は現在のことであり,故18 『古事記伝巻二十』第二巻神武天皇巻において,「上代には,御神事を,有が中に最厳重き御業として,職員令に神祇官を第一として,太政官より上に次第られたるなど,上代の意の遺れるなり」と述べている。神武天皇の代において神祇官が太政官の上位であることが,過去の歴史的遺物だと述べている。明治2年の神祇官職制は,太政官より神祇官が上位にあり,本居宣長が神武天皇の代においてすでに過去の遺物とした制度を採用したことになる。『古事記伝二十巻』第二巻1055頁19 『古事記伝巻十九』第二巻神武天皇巻1017頁20 倉野憲司校注『古事記』岩波書店1963年87頁