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12 高知論叢 第100号引き入れるという同一の意味を持つ古語であろう。岡田精司氏と大津透氏は,食國が畿内以外の“四方の国”を意味する,地方諸国であると述べている29。倭朝廷は決して中央集権国家ではなく,畿内....

12 高知論叢 第100号引き入れるという同一の意味を持つ古語であろう。岡田精司氏と大津透氏は,食國が畿内以外の“四方の国”を意味する,地方諸国であると述べている29。倭朝廷は決して中央集権国家ではなく,畿内豪族による中央連合政権と,倭朝廷に朝貢関係にあった四方の国,食國による二重国家であった可能性が大きい。本居宣長はヲスクニについて,『日本書紀』から引用し次のように補足した。崇神天皇の時世において日本は「天神地祇共和 風雨順 百穀用成 天下太平」「カレホメマツリテマヲス ハツクニシラシゝスメラミコトナリ30」となった。ヲスというのは,クフの敬語であり,ヲスクニは,召しあがる物を作る国,という事であり,ヲサめる国に通じる。ヲスからヲサめるという語が出たという解釈が自然である。ヲス国をそのように理解すると,崇神天皇治世下のヲス国とは下々まで豊かで繁栄した国という意味だけではなく,国家を治める為政者に献上するための作物が豊富に収穫された,という意味も含まれる。『古事記』は崇神天皇の呼称について,ハツクニシラシゝという神武以来の呼称を与えている。「故称其御世謂所知初国(はつくにしらしし)」,この称事について本居宣長は後世において言われるようになったと述べている。崇神天皇が実在の人物であったか否かには議論があるが,崇神天皇とその末裔が日本最初の統一王朝であることは『記紀』の叙述から史実に近いと思われる。崇神天皇はハツクニと同時にもう一つの呼称を与えられている。崇神天皇は「謂所知初国之御真木天皇也31」を「ハツクニシラシシミマキノスメラキコトトモヲス」と訓じた。ミマキは任ミマ那ナを後世支配下においたとする『古事記』の記述にそった称号であろう。崇神天皇は,鉄の生産地であった現在のカヤ地方との関係が濃厚な豪族である可能性が指摘されている。本居宣長の注釈においても,ミマキ,ハツ学会紀要』第13巻大正9年 80頁29 大津透『律令制国家支配構造の研究』岩波書店1993年1月34頁『古代の天皇制』岩波書店1999年12月62頁 岡田精司「大化前代の服属儀礼と新嘗」『古代王権の祭祀と神話』塙書房1970年30 『古事記伝巻二十七』第三巻1242頁31 同上書1237頁