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24 高知論叢 第100号Artikel 44 Die Minister des Konigs sind verantwortlich. Alle Regierungsakte desKonigs bedurfen zu ihrer Gultigkeit der Gegenzeichnung eines Ministers, welcherdadurch die Verantwort....

24 高知論叢 第100号Artikel 44 Die Minister des Konigs sind verantwortlich. Alle Regierungsakte desKonigs bedurfen zu ihrer Gultigkeit der Gegenzeichnung eines Ministers, welcherdadurch die Verantwortlichkeit ubernimmt.Artikel 45 Dem Konige allein steht die vollziehende Gewalt zu. Er ernennt undentlast die Minister. Er befiehlt die Verkundigung der Gesetze und erlast die zuderen Ausfuhrung nothigen Verordnungen.明治憲法はプロイセンの1848年憲法,1850年憲法から学んだと言われているが明治憲法第1条,第3条の国体条項については両憲法と明治憲法の関連性はない。プロイセン憲法を継承している点は,担当大臣に責任があり国王不答責であること,すべての政府は大臣の副署が必要,王が軍の最高司令官を導く事などである。国王の身体は之を侵すべからず”Die Person des Konigs ist unverletztlich”の不可侵に相当する語はunverletztlich を使用している。ドイツ語の原文unverletztlich は法律用語では破棄できない,無効にできないという意味である。Heilig, gottlich には不可侵の,神聖なという意味もあるが,神秘性を秘めた聖職を意味する語は使われていない。明治憲法の“神聖不可侵”なる語はプロイセン憲法1848年,1850年のいずれにもない。明治憲法の国王条項についてはプロイセン憲法との関連性はないと言わざるを得ない。Unverletztlich を神聖なる漢語に置き換えた結果,神的な神秘性をもった王権のイメージが定着した。これは日本人の神話イメージに照応したものであったが,ドイツ憲法を継承したものではなかった。神聖という元の漢語は,韓非子「神聖不能解」孟子盡心下「大而化之之謂聖聖而不知之之謂神」があるが,測り知る事が出来ない優れた徳を持つこと,清らかで少しのけがれもない天子を指し,漢語でもそのままでは神を指す言葉ではない。しかし,明治の日本人の多くは憲法3條を読むと,すぐに天皇の神格化をイメージした。それは日本の『記紀』の神話に影響されたものであった。プロイセンの王権は皇帝権力に対抗する力を獲得しようとし,教皇と民衆に権威づけることに成功した。王権が教権に対して一定の自立性を示す根拠としたもの,神聖ローマ帝国の後裔であるという看板は必要がなくなっていた。ところが伊藤博文『憲法義解』英訳版第三条を伊東巳代治は“The Emperor