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象徴天皇と神話7と云もそこの主(ウシ)として,領居(シメヲ)ることなり10」と述べた。天之御中主神の意味は人臣の祖,世の中の真ん中に座する主という意味だと述べた。ウシハク神の例はアキグヒノウシノカミ,オ....

象徴天皇と神話7と云もそこの主(ウシ)として,領居(シメヲ)ることなり10」と述べた。天之御中主神の意味は人臣の祖,世の中の真ん中に座する主という意味だと述べた。ウシハク神の例はアキグヒノウシノカミ,オホセノミクマノウシ,オオクニヌシノカミ,オオモノヌシノカミ,コトシロヌシノカミなどである。万葉集にも奴之をヌシとあり,奴斯,主,宇斯なども皆同言であり後世において,ウシが○○ノヌシと転じたものであると本居宣長は解説している。イザナギの神から出自した神のなかにも“うし”を名乗る神があった。「和豆良比能宇斯能(わづらひのうしの)神 次に投げ棄つる御冠に成れる神の名は,飽咋之宇斯能(あきぐひのうしの)神」とある。本居宣長は,ウシハクは主と同語であると解釈しており,ヌシは必ずしも私的支配ではなく,天地開闢以来の高天原における神々の中における人間世界の主という意味にも使っている。高天原は天である。ウシハクの主語は常にどんな場合も神が主語であった。シロシメスは天皇が即位した場合にのみ用いているが,シラスとウシハクの概念の相違は逆の意味ではなく,相対的なものであるとするのが本居宣長の理解である。続いてウシハクについて言及した箇所は『古事記伝十四巻』である。「宇志波祁流葦原中國者御子之所知……大国主神言天照大御神高木神之命以問使之汝之宇志波祁流葦原中國……(大国主神に問ひて言りたまひしく 天照大御神高木神の命もとて問ひに使はせり,汝いましが,うしはける0 0 0 0 0 葦原の中つ国は我が御子の知らす国0 0 0 0 ぞと言依さしたまひき)11」ウシハケルは,主ウシとして其の処を我が物と領居る(シリヲル)を云,「但し天皇の天下所知食シロシメスことなどを,ウシハキマスと申せる例は,さらに無ければ,似たることながら,所しろ知しめす食などと云とは差たがひ別あることと聞こえたり12」波久(ハク)は履く靴と同様に身につけることを言う,と解している。万葉集19丁,31丁,39丁にもウシハキイマスがある。これについて本居宣長はウシハクを牛吐く,牛掃くと解する説は言うに足らない誤りであると述べて10 『古事記神代一之巻』『古事記伝三之巻』138頁11 『古事記伝十四之巻』神代十二之巻『本居宣長全集』第二巻665頁12 『本居宣長全集』第二巻『古事記伝十四』668頁