101号

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28 高知論叢 第101号体A に属し,財政主体B に属しない。陸海軍大臣は内閣では軍人,退役軍人のみが任用された。文官から武官への人事移動はなく,逆はあった。各省には内局があり,それぞれが財政主体と対等の関係....

28 高知論叢 第101号体A に属し,財政主体B に属しない。陸海軍大臣は内閣では軍人,退役軍人のみが任用された。文官から武官への人事移動はなく,逆はあった。各省には内局があり,それぞれが財政主体と対等の関係にあった。相互の調整はなく,各省の内局は独立していた。一般歳出から軍事費への繰りいれはあったが逆はなかった。内閣総理大臣でも各省内局,軍内局,参謀本部,大本営への関与はできなかった。それぞれが建前上の天皇親裁の下,独立性を有したが,天皇は直接政務に関与せず百官の意に添うことを旨とした。軍と諸省の間,並びに諸省内局間独立し,内閣は調整,すりあわせ機能を有しないことが日本の政体であった。議会はその外にあった。予算は衆議院の承認を得ざるを得ないが,提出された財政案は承認することが前提であった。しかも議会で多数をとった政党が内閣を組織した時に備えて,内閣総理大臣は軍だけではなく諸省の内局に直接関与できない仕組みが憲法制定以降構築された。井上毅は明治初年に官僚制度の欠陥を見抜き,明治9 年「官制改革意見案」「明治九年進大久保参議省冗官議」9 を提出したが,日本の官僚制度の根幹は太政官制時代に構築され,以後大きく変わることがなかった。軍財政の独立は最も早く,西南戦争後における参謀本部独立にその端緒があった。明治11年11月6 日,陸軍省は以下のように要求した。「陸軍ノ総定額金ハ屡々上申シタルカ如ク毎歳減削10」これに対して大蔵省は定額金の外に参謀本部設9 井上毅「官制改革意見案」明治9年『井上毅伝史料篇第一』93頁所収 井上毅意見書の大要は以下の通り1. 日本の官制は大宝律令に依っている 二大臣 左右大臣 大少次官 トップをおいても権力の長がいない 権力が両立している 2. 省を分けて業務を分担すること 府県職員は不十分 官吏が増加し千人以上になった。欧米と比較して不要な官制が多い。10 「今ノ参謀局ハ明治十一年度ノ参謀局タルニ足ラス日本帝国ノ参謀局然ハ則之ヲ為ン事如何其条例ヲ改正シ其定額金ヲ増加シ以テ之ヲ皇張スルニ在ルノミ其条例ハ当サニ省議ノ発シ不日改正ノ案ヲ草シ以テ進止ヲ取ラントス定額金ニ至テハ是マテ一年度僅カニ八万円有余ノ分賦ニ過キサレハ実ニ以テ事ヲ成スニ足ラス是モ亦目途ヲ立テ諸項ヲ別タハ蓋シ若干ノ増加ヲ安スル者アラントス然ルニ陸軍ノ総定額金ハ屡々上申シタルカ如ク毎歳減削ノ余ヲ以テ諸隊諸官庁必要ノ事務ヲ挙行スルモノナレハ縦令ニ参謀局皇張ノ為メナルモ彼レヲ扣除シテ此ニ那移スヘキ者アル事ナシ願クハ前條ノ者意ヲ明案セラレ増額ノ分ハ定規外ニ於テ別ニ支給セラレン事ヲ謹テ明裁之可ヲ仰ク 上申之趣定額金ノ外弐拾五万円支給スヘキニ付右目途ヲ以テ取調可出事 十一月六日」「陸軍参謀局皇張別ニ定額金支給ス」明治11年11月6 日 「太政類典」国立公文書館所蔵文書第三編