101号

101号 page 31/162

電子ブックを開く

このページは 101号 の電子ブックに掲載されている31ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「電子ブックを開く」をクリックすると今すぐ対象ページへ移動します。

概要:
日本財政の持続可能性に関する研究29置のために歳費増額を確約した。明治12年度歳出予算は,5,565万1,379円3 銭4 厘で,対前年比237万5,452円96銭6 厘増加した11。参謀本部設置の背景には,西南戦争収束後の財政問題....

日本財政の持続可能性に関する研究29置のために歳費増額を確約した。明治12年度歳出予算は,5,565万1,379円3 銭4 厘で,対前年比237万5,452円96銭6 厘増加した11。参謀本部設置の背景には,西南戦争収束後の財政問題,歳出削減に対抗するための陸軍省による歳入拡大の意図があったことを示している12。このことは明治11年以降,陸軍歳入の縮減が止まり,以後増額に転じた事によって,軍の思惑は成功した。表1 に明治初年歳出中の軍事費推移,図15に1868~1940年の軍事費比率の推移を示した。日清・日露以降の際限なき軍事費拡大の法的枠組みは明治初期に完成していた。軍事費は参謀本部が独立した明治11年以降議会開設期まで陸軍は2 倍強,海軍は3 倍以上に増加したが,軍以外の歳出は微増(10%増)したに過ぎなかった。議会開設後において,軍は統帥権独立を盾に軍事財政の独立を主張した。明治22年,陸軍大臣大山巌は,憲法に関し軍政の義を以下のように上奏した。「帝国ノ軍ノ統帥ノ事ニ至リテハ唯一ニ天皇陛下帷幄ノ大命ニ存シ,全ク他ノ国務ト相関渉セザルモノタルコトヲ体認セザル可カラズ」13 それでも,明治30年代までは一般歳出と軍財政はある程度互いに均衡を保つように作用したことは第4 節以下に見たところである。以後,軍の独立によって軍の財政は平時はもとより,大本営設置時において増加した。軍財政費拡大は政府財政が発散する契機となった。その端緒は,軍内局が主導して設置した参謀本部が独立した事にある。参謀本部独立は大本営設置につながり,財政上は一般会計の臨時軍事費,臨時軍事費特別財政増加に繋がった。明治初期の軍事財政と1885~1940年の歴年の軍事費内訳を以下に示そう。11 「陸軍参謀局皇張ノ儀西郷陸軍卿ヨリ上請ノ趣ニ付テ当省意見可申出者御照会ノ趣敬承仕候右具申ノ次第モ無余儀被相考候付御採用相成可然ト存候就テハ多額ノ費金ヲ別途供給候様ニハ難相成候ヘ共可成丈差繰ヲ以テ陸軍省定額金ノ外更ニ本年度予備金ノ内ヨリ弐拾五万円限差出候様可致候間此者ヲ以可然御指令有之度依之別紙辺進此段及御答候」明治12年太政官達第29号『大蔵省年報』12 大山巌(陸軍大臣(「憲法に関し軍政の義上奏」明治22年『憲法資料』昭和9年2月8日叢文閣46-48頁13 大本営は1893年5 月19日に勅令第52号戦時大本営条例によって制定され,以後(1)日清戦争時1894年6 月5 日設置,1896年4 月1 日解散,(2)日露戦争時1904年2 月11日設置,1905年12月20解散,(3)日中戦争時大本営令1937年11月20日設置,1945年9 月13日に廃止