101号

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日本財政の持続可能性に関する研究33政収支を均衡させようとするベクトルが機能した時期もあった。しかし,分裂した政策主体による無政府的な財政運営は,昭和初期には一時的にもプライマリーバランスの均衡を考慮せ....

日本財政の持続可能性に関する研究33政収支を均衡させようとするベクトルが機能した時期もあった。しかし,分裂した政策主体による無政府的な財政運営は,昭和初期には一時的にもプライマリーバランスの均衡を考慮せず,戦争の長期化によって財政の発散は必然化した。本稿では,財政健全化の前提条件として,GDP の持続的増大と,持続可能な財政が主導されなければ,財政は発散し,その要因は軍事費であることを明らかにした。従来のテーゼはその前提を欠き,基礎的財政収支と財政債務のGDP 比の検定を行うことに留まっていた。財政に規定的な影響を与えた軍事財政に対抗し,政府債務縮小のためのベクトルが機能したのは,日露戦争前と日露戦後から第一次大戦後までの限定的な期間であった。戦間期における財政悪化因子は,内肛していたが,満州事変・日中戦以降,矛盾が顕在化した。因子が内肛した要因は,財政主体が,陸海軍,諸省に鼎立した時期と見なすことができる。近代史の歴史区分上の戦間期とは,通常両大戦間期を指すが,本稿で見たように,日本の財政史上では,日露戦期と満州事変・日中戦期が画期となる。日本の中央政府は明治以来,政府の調整力を欠き,日本財政の主体は武官と文官によって構成される高級官僚にあった。特に文官に対して,統帥権独立を盾にした武官が優位な官僚群(軍と百官)によって,大半の国家財政が支配され,内閣を中心とする中央政府と議会には財政の大部分の決定権がなかった。そのために,基礎的財政収支を均衡させようとするベクトルが持続・継続せず,財政持続性が失われた。その要因は政治制度にあった。太政大臣は百官を統括しない名誉職であった。明治18年内閣制度によって首相の権限は一旦強化されたが,再び元に戻った。明治憲法における内閣総理大臣は諸官を統率すべき権限はなく,諸省・諸官分任の体制となった。これは,天皇親裁を建前とする無責任体制であり,そのことが,日本財政の破綻を招いた最大の要因であった。しかも,百官は平等ではなく,特に軍令は統帥権に基づいた特別な聖域であった。統帥権の濫用を招いた時期は昭和初期ではなく,歴史的低軍備であった明治初期においてすでに制度的枠組みはできあがっていた。諸官分任の痕跡は今日においてもなお存続している。