高知論叢102号

高知論叢102号 page 192/222

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190 高知論叢 第102号≪コメント≫1989(平成元)年度に経済学科は,13小学科目制から4大学科目制へ移行した。前期間の間に小学科目が2つ増えた。教員ポスト数では4名増となるところであるが,実際には,2名増....

190 高知論叢 第102号≪コメント≫1989(平成元)年度に経済学科は,13小学科目制から4大学科目制へ移行した。前期間の間に小学科目が2つ増えた。教員ポスト数では4名増となるところであるが,実際には,2名増しかならなかった。理由は予算制約で我慢してください,というものであった。制度上の仕組みとして,4大学科目にする際には,高知大学の一般教育の教育組織の運用として,一般教育と専門教育の「一体的運用」ということが認められて,一般教育担当教員を専門の学科目に編入することにした。1989年度の「国立大学の学科及び課程並びに講座及び学科目に関する省令」別表第78で「経済分析」「政策科学」「国際経済」「経営行政」という4大学科目の告示がなされた。学生定員は120名であったが,その後,臨時増募(臨定)があり,20名を増やし,1996年度に教育学部の臨時定員の振替えで15名増え,最大165名となった。教員ポスト数は,教授17,助教授14,助手1で計32名となった。この4大学科目区分は,一般教育定員の学科目への繰り入れ,学科学生定員の増加,臨時定員や教育学部学生定員の振替え分などを総体として,学科目ごとに合,合教員,教授・助教授・助手などの配置を考慮した。当時の社会的需要予測として,政策学系と国際系,情報系がポスト要求として可能なものであったということもあった。経済学のdiscipline としての相応の根拠があったと言えよう。この期間も前期間における学科の拡充目標を経済学部の設置とすることは継続した。概算要求の年度で言えば,1996年の3,4年前から臨時増募や教育学部からの定員振替などで得るポストは,この経済学部設置基準に適合するように合,合教員の採用,昇任などが行われた。1996年に臨時定員の廃止,文部省の新学部増設計画の抑制方針などがあり,経済学部設置構想を断念せざるを得なくなった。具体的には,文部省の1995年以降の大学長期計画において新学部創設は中止となり,千葉大法経学部,静岡大人文学部,愛媛大人文学部,島根大法文学部などと同様に複合学部の分離独立は認められなくなった。それを受けて,人文系地方国立大学の中で高知大学は,予算付け順位としては最後尾グループであることもあり,経済学部設置構想は取り下げることになった。当時における学科の充実・発展の共通目標に向けて,次のようにある意味では歪んだ配慮が強いられた。①経済学士を養成する学科として大学設置基