高知論叢102号

高知論叢102号 page 50/222

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48 高知論叢 第102号1 優生保護法の成立1948年,第2 回国会において優生保護法2が成立し,それに伴って国民優生法は廃止された。優生保護法制定にあたっては当初,太田典礼3,加藤シヅエ4,福田昌子5らの医師によ....

48 高知論叢 第102号1 優生保護法の成立1948年,第2 回国会において優生保護法2が成立し,それに伴って国民優生法は廃止された。優生保護法制定にあたっては当初,太田典礼3,加藤シヅエ4,福田昌子5らの医師による避妊・人工妊娠中絶合法化を目指すグループと,谷口弥三郎6らの参議院医系議員グループが個々に法制定に向けて活動していた。谷口弥三郎は,昭和22年8 月2 日付で,産児制限に関する質問趣意書に加えて,民族の逆淘汰や国民道徳の退廃を顧慮した中絶適応の拡大,あるいは刑事政策的,国民優生的方面への中絶適応の拡大を内容とする国民優生法改正に係る5 項目7を,参議院議長を経て内閣に提出している8。これを受けて,当時の片山哲内閣総理大臣は8 月8 日付で,精神缺陷者に対して妊娠中絶の途を開くことについては研究中とし,社会目的の中絶について慎重に検討するとの答弁2 昭和23年7 月13日附法律第156号。3 太田典礼は,1990年生まれ。九州大学医学部卒業。産婦人科医として避妊リングを開発したことで有名である。治安維持法で数回逮捕されている。戦後の一時期,衆議院議員を務めた。1985年死去。稲子俊男『産む,死ぬは自分で決める 反骨の医師 太田典禮』(1999年,同時代社)参照。4 加藤シヅエは,1897年生まれ。女性解放という目標のため,サンガー流の産児調節の普及に尽力したことで,思想犯として逮捕,拘留された。戦後,衆議院議員,参議院議員を歴任した。ヘレン・M・ホッパー(加藤タキ訳)『加藤シヅエ 百年を生きる』(ネスコ,1997年)参照。5 福田昌子は,医学博士,衆議院議員。著書として,谷口弥三郎との共著『優生保護法解説』(研進社,1948年)がある。6 谷口弥三郎は,1883年生まれ。医学博士。参議院議員を務めた。谷口彌三郎『優生保護法詳解』(社団法人日本母性保護醫協會,1952年)参照。7 この内容は以下の通り。「1.人口増加抑制の一助として国民優生法の申請手続を簡略化すること。2.優生手術を必要とする人々が,手術前に妊娠した場合は中絶を認めること。3.避妊用単具や薬品中に有害なるものがある。これが取締について政府の方針を問う。4.現下の情勢に鑑みて妊娠中絶の適応を拡大するため中央に産児調節審議会(仮称)を設け,人口特に民族の逆淘汰,国民道徳の退廃等を顧慮して妊娠中絶に対する条件を定め,これを地方の産児調節相談所(仮称)に示して,希望者より医師の妊娠証明書と希望書を提出せしめ,これを検討して必要ある者に中絶を許可すること。5.政府は中絶適応を刑事政策的,国民優生的方面に拡大する意志はないか。」谷口・前掲注(6)16頁。8 同前。