高知論叢102号

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50 高知論叢 第102号2 優生保護法制定前後の議論状況戦後,法律学において優生保護法に関する議論がなされる場合,その論点は国民優生法の流れを汲む優生手術にあるのではなく,殆どが人工妊娠中絶にあったことを....

50 高知論叢 第102号2 優生保護法制定前後の議論状況戦後,法律学において優生保護法に関する議論がなされる場合,その論点は国民優生法の流れを汲む優生手術にあるのではなく,殆どが人工妊娠中絶にあったことを指摘することができる。刑事法学においても同様であった15。1950年頃からの出生力低下現象はそれまでの人口増加抑制政策を転換させる契機となった。1953年に当時の厚生省に常設の機関として設置された人口問題審議会16が出生抑制の必要を指摘しているのは1959年の「人口白書について」までであり,1969年の「わが国人口再生産の動向についての意見」(厚生大臣からの諮問に対する中間答申)では出生力の減退傾向に対して,できる限り速やかに純再生産率を「1」に回復させることを目途とし,出生力の減退に参与しているとみられる経済的及び社会的要因に対して適切な経済開発と均衡のとれた社会開発を強力に実施することとの提言をなしている17。また一方では,1967年に結成された優生保護法改廃期成同盟のように,優生保護法による堕胎罪の空文化を激しく攻撃する勢力も形成されていった。特に,生長の家の白鳩会は,「生命尊重」を唱えていた18。3 戦後木村学説の検討前項で述べたような,いわゆる「生命尊重論派」19が勢いを増してきた1967年15 刑事法学においては,1961年に改正刑法準備草案,1974年には改正刑法草案が公表され,その堕胎罪規定との関連で優生保護法の人工妊娠中絶規定に関して活発な議論がなされている。16 厚生省20年史編集委員会編『厚生省20年史』(1960年,官公庁審議会)536頁。17 厚生省五十年史編集委員会編『厚生省五十年史(資料篇)』(中央法規出版,1988年)501頁。人口問題審議会の論調の転換を指摘するものに石井美智子「優生保護法による墮胎合法化の問題点」『社會科學研究』第34巻第4 号155頁以下。石井は,人口増加抑制政策を説く最後を1958年の「潜在失業対策に関する決議」としている。18 1967年には生長の家を中心とする優生保護法改廃期成同盟が結成された。それ以前にも生長の家の白鳩会は国民総自覚運動本部の名称で署名運動等を行い,国会ならびに厚生大臣に対する改正要求の請願書提出も行っている(太田・前掲注(11)270頁以下)。19 他方,生長の家の村上正邦議員の「生命尊重」を批判するものとして,佐藤和夫「いのちを決める」佐藤和夫=伊坂青司=竹内章郎『生命の倫理を問う』(大月書店,1988年)