高知論叢102号

高知論叢102号 page 54/222

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52 高知論叢 第102号で適正なものに改めること」27が重要であるとの見解を示している。一方木村は,妊娠中絶そして第1 号ないし第3 号の優生学的適応による妊娠中絶の目的を「そこに規定している精神病者,精神薄弱....

52 高知論叢 第102号で適正なものに改めること」27が重要であるとの見解を示している。一方木村は,妊娠中絶そして第1 号ないし第3 号の優生学的適応による妊娠中絶の目的を「そこに規定している精神病者,精神薄弱者,精神病質者,遺伝的身体疾患者,遺伝的奇型者,癩患者の増殖を防止して健康で明るい社会を維持し実現しようとすること」28と説明しており,「社会の一般的評価においては,悪質者の増殖よりも,健康で明るい社会の維持・実現の方が一層価値が大であり」2「9 その一層大なる価値を保護するために小なる価値を犠牲にすることはやむをえないという理由で妊娠中絶の違法性が阻却せられ,適法なものと判断せられるというのが,妊娠中絶を許し,適法なものと解する刑法的な考え方である」30としている。以上,木村の見解を見てみると,基本的には戦前の自説をそのまま踏襲していることが分かる31。木村の中で,優生学的適応が問題となるのはその乱用の場合だけであり,優生思想そのものは維持されたままであった。戦後においても木村は,断種法問題に詳しい我が国刑法学の最高権威者として位置付けられていたことが窺える32のであるが,そのような状況下,優生思想への疑問の念はなかったことが推察される。他方,時代状況に合致する見解としてここで示されている優生思想によって制約を受ける「胎児の生命権」の考え方は,いわゆる「生命尊重論派」とも通じるものである。経済条項に関しても木村は,いわゆる「生命尊重論派」が使える理論を提供していたことを指摘することができる33。その結果,「健康で明るい社会」と,精神の障害がある者の優生手術が,前者に大なる価値が存するという形で単純に比較衡量されることとなり,優生27 木村・前掲注(20)63頁。28 木村・前掲注(20)63頁以下。29 木村・前掲注(20)64頁。30 同前。31 戦前の木村の見解については,拙稿・前掲注(1)198頁以下参照。32 池見猛『精神障碍性犯罪の刑事学的研究』(池見経理学校,1962年)はしがき参照。33 木村・前掲注(20)64頁において木村は,「特に第四号の社会的特に経済的適応による妊娠中絶は,その根拠をさらに溯ると,憲法第二五条に規定されているところの『健康で文化的な最低限度の生活を営む権利』が,事実上,すべての国民に対して十分に保障せられていないことにあり,もしそのような基本的人権の保障が十分に実現せられることになれば,おのずからその存在理由が消滅することになるであろうこともいうまでもなかろう」と述べている。