高知論叢102号

高知論叢102号 page 77/222

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地下水法の現状と課題752-2 温泉権2-2-1 事件の背景21温泉とは,温泉法上,25度以上の温度と法2 条が定める鉱物やガスを含む水である。日本人は温泉好きであるために,温泉には経済的な価値があり,日本の近代化以....

地下水法の現状と課題752-2 温泉権2-2-1 事件の背景21温泉とは,温泉法上,25度以上の温度と法2 条が定める鉱物やガスを含む水である。日本人は温泉好きであるために,温泉には経済的な価値があり,日本の近代化以前から慣習上の温泉権が発達してきた。古来,温泉の浴客は,宿の外の共同浴場である外湯で入浴しており,宿の中で入浴する内湯は全国で一般的に禁止されてきた。湯島村は,兵庫県北部に位置し,温泉の豊富な湧出量で知られており,明治維新前には,内湯は禁止されていた22。1889年には,隣の二つの村と合併し,新しい湯島村ができた。さらに,1895年には城崎町になり,城崎町内の温泉を管理するために湯島財産区が形成され,1957年には近隣の町と合併し,その後の近隣市町村との合併により豊岡市の一部となった。1909年には,国鉄が城崎まで開通し,これ以降,城崎は京阪神から多くの旅行者を受け入れることになった。大正年間には転入者が増え,その中には自家入浴用の温泉掘削をするものが増えた。また,旅行者は内湯での入浴を望んだため,旅館の経営を拡大したい経営者は内湯を建設し始めた。そのため,共同浴場用の泉源は枯渇したり著しく減量したりした。そこで,町は県に働き掛け,1920年,県は鉱泉地区取締規則(以下「規則」)を制定し,内湯のない小規模な宿はこの規則を支持した。さらに,多くの土産物屋や食堂は,外湯に入るための人通りに依存して営業していたため,城崎町は外湯を維持しようとした。権規制と営業の自由の規制に分けて検討し,後者について「公序」という観点から正当化すると同時に限界を示した。その後,牛尾2006・鈴木2009・池田2010・大塚2010に接し,人格権及び土地所有権における相隣関係の延長線上にある秩序 地域的公序 の問題と捉えるのが妥当だと考えるようになった。本稿において,「地域的公序」とは,近代化以前に地縁と経済的必要性から形成された入会的秩序が, 地域の社会経済的変化を受け,自発的意思によって再編成されてできた新たな地域共同体的秩序をいう(後掲註25・3-3・3-4)。21 川島1994,108-124頁,武田1942,233-267頁及びRamseryer 1989, pp. 61-64.22 その後,明治初年の陣屋の湯壺事件の後には代官専用の湯壺が湯島村に無償で譲渡された。また,1881年の湯とう屋の内湯事件では,井上馨外務大臣の来村時に内湯を作った者がその後も内湯を維持しようとしたが,内湯禁止規範違反を理由に賦役を命ぜられている。湯とう屋事件の後,内湯条例により内湯自体は許されたが,内湯の鍵は村落の湯方に預けられ高額の入浴料が課されたとされる。