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明治太政官制成立過程に関する研究 2 5職制上からみた画期であり,同文書からは権力闘争の内幕は見えてこない。同文書には,太政官成立以前の三職制時代の数ヶ月の親政体制について記されていないが,修史官が編纂....

明治太政官制成立過程に関する研究 2 5職制上からみた画期であり,同文書からは権力闘争の内幕は見えてこない。同文書には,太政官成立以前の三職制時代の数ヶ月の親政体制について記されていないが,修史官が編纂した三職職制表には,民政は総裁に,軍政は大総督に委任していたことが示されている。従って親政の体制が明確になったのは三職職制定時ではなく,太政官制施行以降であったといえる。『太政官沿革志』には太政官制の揺籃期について次のように記されている。明治元年正月,三職制総裁の職務は「万機統ヘ一切ノ事務ヲ裁決ス」とある。総裁には皇族が任ぜられた。三職制の時期において,万機を裁決する者は天皇ではなく総裁であった。この政体は旧摂関時代と同じである。総裁以下の職務について,議定が,「宮公卿諸侯任之」,事務各課を「分督シ議事ヲ定決ス」とされた。議定には皇族,公卿,諸侯が任ぜられ,「事務各課ヲ分督10シ議事ヲ10 神祇事務総督,内閣事務総督,外国事務総督,海陸軍務総督,会計事務総督,刑法事務総督,制度寮総督,参与ハ事務ヲ参議シ各課を分務ス,とある。参与が分務する事務表1 職制九変(『太政官沿革志』の区分による)(職制画期)  (年/ 月)          (各職制事項)三職制制定 明治元年正月 天皇は政務と軍務を委任 総裁 議定 参与設置 大総督設置職制第一変 明治元年閏4月 天皇親裁 輔相-2人議定が兼務,天皇を輔す 議定 参与職制第二変 明治2年7月 神祇官が最上位 左大臣1人 右大臣1人 大納言3人 参議-3人職制第三変 明治4年7月 太政大臣-天皇ヲ輔翼 神祇省に降格その後式部省に職制第四変 明治6年5月 太政大臣1人 輔弼 左右大臣 太政大臣代理職制第五変 明治6年10月 参議・各省卿兼務 参議・内閣議官に実権集中職制第六変 明治8年4月 太政大臣1人 左右大臣各1人職制第七変 明治13年2月 参議・省卿兼任を止める職制第八変 明治14年10月 参議・省卿兼任を復活 省卿は内閣に列し大臣と省卿が内閣を構成職制第九変 明治18年12月 省卿を大臣とする内閣制度とし,太政大臣,左右大臣,参議,省卿を廃止 内閣職権によって内閣総理大臣の権限を明確化したが,憲法と内閣官制では内閣総理大臣の権限は弱められた。