103号

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6 高知論叢 第103号定決ス」とされた。参与は公卿と徴士からなり,「事務ヲ参議シ各課ヲ分務ス」とされた。総裁,議定に任じられた皇族,公卿,諸侯は実務経験や海外留学や海外視察経験にも乏しく,実質的に事務局....

6 高知論叢 第103号定決ス」とされた。参与は公卿と徴士からなり,「事務ヲ参議シ各課ヲ分務ス」とされた。総裁,議定に任じられた皇族,公卿,諸侯は実務経験や海外留学や海外視察経験にも乏しく,実質的に事務局を差配し各課,掛を取り仕切ったのは徴士である旧士族であった。彼らは,総裁,議定の承認を受けて,維新の功臣や有能の人材を大量に登用した。明治元年2月10日,貢士ノ制が定められ藩士出身の徴士・貢士11が採用された。徴士となる功臣から抜擢された高官は各省人事を司り,藩主-藩士の関係は徴士-貢士の関係と変わった。徴士には定員がなく,「諸藩及都鄙有才の者撰挙抜擢参与職に任ず,撰挙の法公議を執り抜擢せらる」というあいまいな定義であった。彼らは各課,各掛の事務に配置され,在職4年だが8年まで延長できる,とされた。彼らから新設の省の卿,輔が排出し,以後次第に太政官の実権を掌握する。下級官僚は,参議,各省高官の派閥官僚に包摂された。廃藩置県後の太政官制改正によって,正院が強化され,正院事務局を取り仕切る事務方トップ内閣議官の権限が絶大になった。参議は省卿を兼務し,内閣議官は省組織の再編の権限まで獲得する。事務方のトップは,上奏ができる立場を獲得するに至り,発言権は大臣と対等にまで上昇した。彼らが国家予算,省庁の予算権,人事権を掌握する様になると,旧藩藩士の派閥の権益は省益となった。徴士,貢士,等級による官僚区分は明治2年徴士制度が廃止され,親任官,勅任官(一等官,二等官),奏任官(三等官以下)に編成替えされる12。掛は,内国事務掛,外国事務掛,海陸軍務掛,会計事務掛,刑法事務掛,制度寮掛である。11 貢士は大藩(40万石以上)3名,中藩(10~39万石)2名,小藩(1~9万石)1名の定員が設けられた。貢士は優秀と評価されれば徴士に昇格できる。貢士の語の起源は中国の科挙である。明・清代の科挙において合格した者を貢士と称した。周では諸侯が天子に推薦した官吏を指した。『明治史要』には「戊辰二月 徴士ハ定員ナシ諸藩ノ士及都雛有才ノ者公儀ニ執リ抜擢セラル則徴士ト命ズ」とある。12 文官任用制度は親任官,勅任官(一等官,二等官),奏任官(三等官~九等官),判任官に区分される。奏任官以上が高等官である。武官は官と職が分かれており,親任官は陸海軍大将のみであり,親補職を親任官に準ずる階級とした。文官の勅任官以上が第二次大戦後の指定職にあたる。後述するように,武官任用制度は文官に先んじて定まった。