103号

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28 高知論叢 第103号佐々木高行は7月8日の守旧派による官制改革と人選に関わっていたと見られる。『佐々木高行日記』では次のように記されている。7月8日 従四位に高行任じられる 刑部大輔 同日 従一位 三條実....

28 高知論叢 第103号佐々木高行は7月8日の守旧派による官制改革と人選に関わっていたと見られる。『佐々木高行日記』では次のように記されている。7月8日 従四位に高行任じられる 刑部大輔 同日 従一位 三條実美 明治2年7月8日「此日人撰名附徳大寺卿へ差し出,尚又條岩両公へも申上置候事」57佐々木高行は天皇の側近として後に侍補となり朝廷で要職を務める。佐々木は明治10年代,中正党の朝廷における中心として動き,同じ板垣退助,後藤象次郎らとは一線を画していた。その国学徒としての学識は他の土佐派の中でも秀でていた。7月8日の官制改革,すなわち神祇官を太政官の上位に据えるような復古的制度と人事は,佐々木高行が徳大寺実則らを通じて天皇に上奏し,裁可された可能性がある。佐々木高行は,日記で次のように薩長土肥の人物像を書いている。「一. 三條公ヲ右大臣ニ,岩倉具視・徳大寺二公ヲ大納言ニ,九条公ノ弾正尹故ノ如ク,副島種臣 前原一誠ヲ参議ニ,木戸孝允・大久保利通 後藤 板垣参与ヲ免ス,木戸 大久保利通 板垣ヲ待詔院学士トシ,後藤東京ニ留任…先般参与,各長官次官ヲ投票ニテ任ゼラレタレ共,是レモ畢竟事情不得止ヨリ,衆望ノ帰スル所ニ依リ進退スベシト…木戸大久保利通板垣,待詔院学士は頗る有名無実トテ直チニ異論起キタル,近日又変動アルベシ」58 佐々木高行は続いて,木戸は薩摩が狡猾だと不平を言う,伊藤,井上,大隈は西洋主義を主張し,木戸を立てる。大隈は木戸の書記だ。我が藩,後藤,板垣も木戸方であり,薩摩,大久保利通を嫌う。薩摩は岩公に依り,副島は薩に依る。岩倉具視も大久保利通も学問はない。聖上未だ若年。官制改革にて,三條は役配できるが「実権は動カスベカラズ」返って陰に権力濫用の恐れあり,木戸は不平ばかり言う,三條,岩倉具視ご苦心,真に忠臣は三條,岩倉具視,大久保利通だ。他は未だ自分には見あたらないと嘆息してこの政変のあった日の日記を結んでいる。明治2年7月8日の太政官制以降,参議を承諾した大久保利通を含めた6名57 『保古飛呂比四』佐々木高行日記 明治2年7月8日58 佐々木は「岩公,三條公は初め夫々役配できるが,実権は動かせる事はできない」と同日記でも述べている。同上書