103号

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明治太政官制成立過程に関する研究 2 29により,大臣,納言,参議の盟約4箇条を申し合わせた59。6名とは三條実美,岩倉具視,徳大寺実則,大久保利通,副島種臣,広沢種臣である。大臣,納言,参議は今後,1. 太....

明治太政官制成立過程に関する研究 2 29により,大臣,納言,参議の盟約4箇条を申し合わせた59。6名とは三條実美,岩倉具視,徳大寺実則,大久保利通,副島種臣,広沢種臣である。大臣,納言,参議は今後,1. 太政官庁に親臨し政府の運営を万機公平に,2. 三職で機密を保持すること,3. 三職で熟慮し合意して上奏親裁を仰ぐこと,4. 三職は毎月3,4回から5,6回は各自の自宅を往来し会議を開き親交を深める,以上の4箇条を申し合わせた。すでにこの時,太政官における大臣,納言,参議,即ち公卿と旧藩士の地位は同格となり,各省の実務を担った参議は政権を実質的に掌握したと見なされる。以上のように,明治2年は,明治官僚制にとって大きな転換期であった。まず,1.旧藩士は自らが推薦した官吏を採用して官僚組織をつくり,彼らの支持によって太政官上級官吏の選挙を行った結果,旧藩士出身の官僚の地位が不動のものとなった。2.彼らは版籍奉還を工作し,公卿,旧藩主を太政官の中枢から放逐した。3.選挙直後における復古的制度改革と有力藩士の放逐は,官吏が反発し,太政官が空中分解したため,旧藩士を参議に任用して混乱は集結した。4.明治2年における太政官の混迷は,旧藩士がすでに太政官の中枢を掌握していた事を意味する。この時期の旧藩士の派閥は大久保利通派,木戸孝允派,保守派に大きく大別できる。中でも薩摩,長州の派閥は互いに抗争,野合,或いは対保守派への連携を行った。肥前の大隈は木戸派であり,土佐派は独自色をもった少数派であった。保守派の中で,佐々木高行らは土佐出身であるが,以後保守派として朝廷,太政官で独自の道を歩んだ。(5)参議・省卿・内閣議官兼任体制太政官職制の変化で最も重要な変化は明治4年の職制変化である。太政官正院に太政官の権力が集中し,有力元藩士が参議として正院の実権を有するようになった。参議は官制を組織し,自ら省卿と正院議官として太政官の実権を全面的に掌握した。木戸孝允が主張したと言われる薩長土肥による参議内閣制は59 『明治天皇紀第二巻』774頁 明治2年8月10日