103号

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30 高知論叢 第103号明治4年7月から征韓論争による政府分裂までで終了したが,名実ともに参議が各政務の実権を有するようになった。旧藩士は王政復古後における政務において,有力者の事務局の役割を担っており,....

30 高知論叢 第103号明治4年7月から征韓論争による政府分裂までで終了したが,名実ともに参議が各政務の実権を有するようになった。旧藩士は王政復古後における政務において,有力者の事務局の役割を担っており,版籍奉還の実施において全国の諸侯を説得したのは彼らであった。版籍奉還後において彼らは政務の事務局から表舞台に登場する。明治4年7月29日太政官達によって,太政官職制が改正された。太政官はこの職制改革を職制第三変とした。明治4年廃藩置県後における太政官制は,官僚支配体制が確立したとみなす事ができる。その理由は正院の設置とその位置づけにある。正院は1871年(明治4年)の太政官職制の最高機関となった。太政官を正院,左院,右院の三つに分け,正院は左右両院の上とされた。正院は太政大臣,納言,参議で構成される。正院は官僚組織のトップに立つ強大な権限を持ち,その組織を差配する者は正院の事務局を司る参議以下の高官であった。太政官正院が実質的に諸省の統廃合,人事などの専決する権限を持つということが謳われた。天皇が親臨する場所は正院であり,太政大臣は「天皇ヲ輔翼シ,庶政ヲ総判シ,祭祀,外交,宣戦講和立約ノ権,海陸軍ノ事ヲ統知ス」とされた。同年の太政官制,正院事務章程を以下に要約しよう。「勅任官ノ進退ハ宸断ニ出ルト雖モ三職之ヲ補賛スルヲ得ル…左右両院ノ奏事取捨ノ便宜施行ノ緩急ハ本院ノ特権タリ…左院議事ノ章程及ヒ其開閉或ハ諸官省等ヲ廃立分合スルモ本院ノ特権タリ」諸省の統廃合,設置まで正院の特権であることを明確にした。また「内閣ハ天皇陛下参議ニ特任シテ諸立法ノ事及行政事務ノ當否ヲ議判セシメ 凡百施政ノ機軸タル所タリ」と定められた。また,本院(太政官正院)の専掌スル事務「帝国経理 諸制度法律 賞罰 歳入-租税・新税 歳出-官省地方官公費額 官禄 秩禄 臨時費 非常軍事費 貨幣製造 金券発行 内外国際 度量衡 府県境界 港湾管理 逓信道路運輸 地方警察 鉄道電信燈台 兵制改革 兵員増減 鎮台兵営設置 城塁武器庫設置 裁判所権限決定 各国条約 官員増減」と定めた。明治6年5月2日の太政官職制では,正院の事務局に権限があることが明確にされた。太政大臣の職務は「天皇陛下ヲ輔弼シ万機ヲ統理スルコトヲ掌ル,