103号

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明治太政官制成立過程に関する研究 2 31諸上書ヲ奏聞シテ制可ノ裁印ヲ鈴ス」太政大臣は輔弼であり,左右大臣は「職掌太政大臣ニ亜ク太政大臣欠席ノ時ハ其事務ヲ代理スルヲ得」参議「内閣ノ議官ニシテ諸機務議判ノ事....

明治太政官制成立過程に関する研究 2 31諸上書ヲ奏聞シテ制可ノ裁印ヲ鈴ス」太政大臣は輔弼であり,左右大臣は「職掌太政大臣ニ亜ク太政大臣欠席ノ時ハ其事務ヲ代理スルヲ得」参議「内閣ノ議官ニシテ諸機務議判ノ事ヲ掌ル」とされた。官制上初めて内閣という呼称が用いられたのは,1873(明治6)年の太政官職制の改正である。中でも正院参議を兼務する内閣議官は正院すべての事務,立法を司り,勅任官の人事はまず内閣議官に諮るとされた。以下,内閣議官の位置づけに関する太政官職制四変の条項を示した。太政官正院の参議の職責として「内閣ノ議官ニシテ諸機務議判ノ事ヲ掌ル」と定められ,同時に改正された「正院事務章程」において,「正院ハ天皇陛下臨御シテ萬機ヲ総判シ太政大臣左右大臣之ヲ輔弼シ参議之ヲ議判シテ庶政ヲ奨督スル所ナリ…凡ソ立法ノ事務ハ本院ノ特権ニシテ総テ内閣議官ノ議判ニシテ其得失緩急ヲ審按シ行政実際ニ付スヘキモノハ奏書ニ乞 宸裁ノ鈴印ヲナシ然ル後主任ニ下達シテ之ヲ処分セシム」奏書への加名鈴印は太政大臣ノ任「凡ソ勅任官ノ薦挙免黙黙ハ宸断ニヨリテモ内閣議官ニ諮リ太政大臣之ヲ輔賛シテ進退ス凡ソ勅任官ノ進退ハ其ノ所轄ノ奏聞ニヨルト雖モ必ズ内閣議官ニ諮リ太政大臣之ヲ輔賛シテ進退ス」60以上のように,明治6年の職制第四変では,大臣と参議によって太政官内閣が組織され,省長官と参議を兼務した。さらに有力者を内閣顧問とすることで,内閣の運営から排除し,内閣議官として官僚トップが内閣の実権を有する事となった。ただし,軍政だけは文官である内閣議官の介入は行われなかった。軍政の上奏は山縣有朋を中心とする軍人に限られており,太政官文官による軍政への介入は実質的に行われなかった。正院,内閣議官専決体制によって政府官吏は漸増する。井上毅は情実人事,冗官拡大を批判し,官吏を改革する提言を正院の岩倉具視に提出した。井上は,維新後10年近くなるが人民は王が何たるかを知らない。法律が出るたびに旧藩主が出した法令だと思っている。「朝廷ハ怨望ノ標的タルニ過ギズ」朝廷は人民にとって,怨みや希望の標的とされる。3,5年にして民60 明治6年太政官正院事務章程には,正院事務について,歳入 歳出 賞罰 外国債 貨幣鋳造 府県 駅逓 鉄道電信 兵制 兵員 鎮台 裁判 条約 官吏増減が職務範囲であるとした。