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明治太政官制成立過程に関する研究 2 33に列し大臣と省卿が内閣を構成するようになる。その結果,大臣と参議・省卿が同じ内閣の構成員となった事は,その後の内閣制度への移行期となった。井上毅は,政府の権力を有....

明治太政官制成立過程に関する研究 2 33に列し大臣と省卿が内閣を構成するようになる。その結果,大臣と参議・省卿が同じ内閣の構成員となった事は,その後の内閣制度への移行期となった。井上毅は,政府の権力を有する省卿・参議が大臣と同格となるとともに,元老院議長,参議院長,参謀本部長という重要な高官を内閣に列すという提言を行った。ところが参謀本部長は官吏であり,これを内閣に列することには官吏が政務に関わることに問題があることに井上は気づき,後日この提案を自ら取り下げる意見を伊藤博文に提出した。以上のように,明治10年代,伊藤博文のブレーンとなった井上毅は,太政官制への改革提案を行った。井上毅は明治14年までの太政官制を「大宝之精神ニヨリ諸省ハ太政官ノ分司タル政体之遺物」63 とし,これ以降を「諸省卿ノ責任ヲ重クスル」64 ものであるが,職制変化の結果省卿の力が大臣と同格になったわけではなく,実質的に省卿が大臣の政治力を凌いでおり,現状に適合させた職制改革であった。(6)官吏採用数の推移井上毅らの文官は,冗官拡大による財政と国政への影響を危惧した。また民権派は「有司専制」として「我今日ノ政府ハ抑モ何等ノ政府ゾ,夫レ勢偏重ナレバ則チ其ノ平ヲ失シ,権偏ナレバ則チ其ノ公ヲ失スル」65 と述べ,高等官が薩長土肥に偏重していることを批判した。民権派による「有司専制」,井上毅による「冗官拡大」という評価は妥当であろうか。廃藩置県以降の府県採用者,警察官,徴兵による陸軍の採用が増加しているが,図2に示すように,国地方を合計した公務員は明治7年においても約2万人にすぎない。しかも廃藩置県以降,府県の官吏の増加は中央政府を上回る水準である。藩政期における武士が数十万人は下らないと考えられることから,明治初年においては非常に小さな政府で富国強兵を推進しようとしたことになる。井上等による冗官という批判にも拘わらず,実際の官吏総数はさほど多くなかった。井上毅の官吏改革意見書は太政官高官一般に関する提言であり,各省,63 井上毅「内閣職制意見」『井上毅伝』史料篇1所収64 井上毅同上書65 岡本健三郎他「民撰議院弁」明治7年『明治文化全集1』憲政篇所収