103号

103号 page 43/154

電子ブックを開く

このページは 103号 の電子ブックに掲載されている43ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「電子ブックを開く」をクリックすると今すぐ対象ページへ移動します。

概要:
明治太政官制成立過程に関する研究 2 37を見ると,徴士で採用された勅任官は薩長土肥の割合が多いが,奏任官数は比較的全国に分散している。民権派の批判は勅任官に向けられており,奏任官以下の官吏にはこの批判は....

明治太政官制成立過程に関する研究 2 37を見ると,徴士で採用された勅任官は薩長土肥の割合が多いが,奏任官数は比較的全国に分散している。民権派の批判は勅任官に向けられており,奏任官以下の官吏にはこの批判は必ずしもあたらない。4.武官の独立(1)軍制揺籃期の直属軍陸軍史に関する先行研究では,天皇直属軍隊の成立過程について以下のように理解されている67。1.戊辰戦争後大村益次郎らによって国民皆兵が提唱され,征討軍解体68の後,東京,京都の守備隊を,暫定直属軍を藩兵,幕府歩兵によって編成しようとした。一方で伊藤博文らは薩長土征討軍による常備兵編成を主張した。2.大村の案は大久保利通等の反対にあい,薩長土三藩兵を徴兵し皇居守備隊とする方針が決定した。3.維新後府藩県は独自に多様な編成で個別67 千田稔『維新政権の直属軍隊』昭和53年12月開明書院 247~253頁68 太政官修史局による「戊辰己巳征討兵員並死傷者数」によれば,戊辰戦争時の官軍方戦死者3331人のうち死者は薩摩藩514人, 長州藩427人, 土佐藩106人でこの三藩だけで3割を占めた。賞典禄として薩長にはそれぞれ10万石,土佐には4万石が与えられ,その他の藩は3万石以下であった。100%90%80%70%60%50%40%30%20%10%0%勅任官数奏任官数その他佐賀土佐長州薩摩前掲岡本健三郎他「民撰議院弁」より図4 出身藩別高官数:勅任官と奏任官合計(明治7年)(%)