103号

103号 page 46/154

電子ブックを開く

このページは 103号 の電子ブックに掲載されている46ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「電子ブックを開く」をクリックすると今すぐ対象ページへ移動します。

概要:
40 高知論叢 第103号如何なる勢力が掌握するかの派閥抗争であった。結果的に軍官僚が,政務官僚の主張を退け,その結果軍は武官の聖域となった。陸軍が太政官から独立した存在として明確になる時期は太政官三変と四....

40 高知論叢 第103号如何なる勢力が掌握するかの派閥抗争であった。結果的に軍官僚が,政務官僚の主張を退け,その結果軍は武官の聖域となった。陸軍が太政官から独立した存在として明確になる時期は太政官三変と四変迄の時期,即ち兵部省から陸軍省が設置させた時期である。参議が各省卿を兼務するようになった第五変以降,各省も軍同様に省益を優先する存在となった。従って統帥権独立だけが特異な官僚組織ではなく,各省独立,これが揺籃期以降日本の官制の特質であった。(2)軍制の議論とその決着明治初年には軍政に関して多くの提言があった。建軍過程における議論を要説しよう。明治元年10月17日兵庫県知事であった伊藤博文は「北伐ノ兵ヲシテ改メテ朝廷ノ常備兵トシ総督軍監参謀以下皆至当ノ爵位ヲアタヘ之ニ兵士ヲ司サドラシメ」73 朝廷が兵を統御する策を建議した。明治元年,海軍総督を設置する建議を行ったのは長岡謙吉であった。同年4月20日,兵部省は各藩へ以下の達を出した。「一.高1万石ニ付兵員十人当分之内三人京畿ニ常備九門 畿内要衝 一.高1万石ニ付兵員五十人在所に 一.高1万石ニ付金三百両兵員ノ給料トシテ」木戸孝允は明治元年11月の日記74の中で,兵制,歳出中の軍事費について三條実美と連絡しながら,大村益次郎と政策を練っていたことを綴っている。木戸,大村が一致した軍事費案は歳入の5分の3を陸海軍費とし,5分の1を政府一般経費,5分の1を万人のために使う,という案であった。さすがに明治初期にはこの歳出案は実現せず,明治3年兵部省の建白書は歳入の4分の1を軍事費定額とするが,征討費に多額拠出したので明治3年より7カ年は5分の1とするというものであった。明治20年代までの軍事費は,兵部省案の水準で推移してきた75。ただし政府は西南戦争期の臨時軍事費と財政危機という想定73 伊藤博文兵庫県知事建議『法規分類大全』74 『木戸孝允日記1』明治元年11月6日75 拙稿「富国強兵日本の来歴」『高知論叢』第90号