103号

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46 高知論叢 第103号日本軍が維新以後10年で朝鮮半島を開国させ,その10数年後に清国を凌駕するアジア一の兵力を持ち得たのは,軍官僚組織を早期に整備したことが大きい。一般論を言えば,軍令のみならず,軍政,軍....

46 高知論叢 第103号日本軍が維新以後10年で朝鮮半島を開国させ,その10数年後に清国を凌駕するアジア一の兵力を持ち得たのは,軍官僚組織を早期に整備したことが大きい。一般論を言えば,軍令のみならず,軍政,軍制は軍事を専門とする官僚でなければそれを指導することは不可能である。軍務は専門性が強く,軍事専門家を系統的に教育しなければ,軍以外の文官からは軍指導者は育たない。平等な省卿が並立する体制の下で,軍が内閣から独立する事は必然であった。後述の様に桂太郎は参謀本部独立が「自然の空気」と述べたが,軍官僚が文官から独立することもまた自然の空気であったはずである。その後参謀本部は天皇直属の軍令部として内閣,文官から独立するが,明治18年の「内閣職権」83 から憲法制定後の内閣制度にかけて,軍機・軍令に関する総理大臣の権限が変更された。軍機・軍令に関しては,内閣職権では,軍は上奏事項について内閣総理大臣に報告すべしとなっていたが,内閣官制では,天皇を経て総理大臣に下付するとなり,軍政への総理大臣の関与が有名無実となった。内閣官制には陸軍の主張が強く反映したものである。憲法によって一般統治権と軍の統帥権が分離された。さらに内閣官制第7条により,軍の統帥権は内閣総理大臣の輔弼事項の例外とされた。本来,国務大臣は憲法上,帝国議会に対してその責任を負うが,権力分立の外側にあった帷幄機関はその責任がなかった。また,帷幄上奏が認められていたのは,軍事のうちの軍機・軍令に関する問題のみであり,残る軍政に関しては陸軍大臣・海軍大臣が国務大臣の一員として内閣総理大臣を通じて上奏すべき問題とされていた。これは後に,1907年(明治40年)勅令によって,副署規定を「公式令」に移し,83 明治18年「内閣職権」第五條 凡ソ法律命令ニハ内閣總理大臣之ニ副署シ其各省主任ノ事務ニ屬スルモノハ内閣總理大臣及主任大臣之ニ副署スヘシ 第六條 各省大臣ハ其主任ノ事務ニ付時々状況ヲ内閣總理大臣ニ報告スヘシ 但事ノ軍機ニ係リ參謀本部長ヨリ直ニ上奏スルモノト雖モ陸軍大臣ハ其事件ヲ内閣總理大臣ニ報告スヘシ明治22年「内閣官制」では 四條 凡ソ法律及一般ノ行政ニ係ル勅令ハ内閣總理大臣及主任大臣之ニ副署スヘシ 勅令ノ各省專任ノ行政事務ニ屬スル者ハ主任ノ各省大臣之ニ副署スヘシ 七條 事ノ軍機軍令ニ係リ奏上スルモノハ天皇ノ旨ニ依リ之ヲ内閣ニ下付セラルルノ件ヲ除ク外陸軍大臣海軍大臣ヨリ内閣總理大臣ニ報告スヘシ