103号

103号 page 54/154

電子ブックを開く

このページは 103号 の電子ブックに掲載されている54ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「電子ブックを開く」をクリックすると今すぐ対象ページへ移動します。

概要:
48 高知論叢 第103号としてだけの天皇統帥であり,実態は軍官僚独裁であるとするものなどがある。そもそも統帥権独立は明治国家において如何に形成されたのか。明治維新は天皇親裁の大原則の下で,君主は政府と一体....

48 高知論叢 第103号としてだけの天皇統帥であり,実態は軍官僚独裁であるとするものなどがある。そもそも統帥権独立は明治国家において如何に形成されたのか。明治維新は天皇親裁の大原則の下で,君主は政府と一体でなければならなかった。君主が軍の大元帥であり,かつ軍を含む総ての統治権を総攬することが日本の国体である。統帥権独立は天皇親裁が実体的に運用されておれば,政府の他の機関から独立することは自然であった。太政官制が成立される以前,総裁,議定,参与の三職,八局制がとられた事はすでに述べたところであるが,三職,八局制の元において,軍はどのように位置づけられていたのか。同年の職制表では,有栖川宮熾仁親王が総裁兼東征大総督であり,三條実美,岩倉具視が副総裁,輔弼が中山忠能,正親町三條実愛である。海軍総督に嘉言親王,大総督参謀に西郷隆盛など4名が名を連ねている。軍は軍事事務局として八局の一局にすぎない。大総督とは君主が軍令を委任した場合におかれる軍の総司令官である。大元帥の名称は天皇には未だ使用されていない。三職,八局制の政体は天皇親裁の形式ではなく,軍を総裁である大総督に,政は副総裁である議定に委任した体制であった。太政官制が始まった元年閏4月の政体書体制において,軍は太政官7官の中の1つである,軍務官将官が太政官官制のなかで,一等陸海軍将から三等陸海軍将まで位置づけられた。同様に2年7月と同年8月の官制改革の中でも,兵部省は太政官の省の1つとして文官と同一の職制表にあった。兵制の官等表に変化が表れるのは,廃藩置県後である。明治4年7月28日,兵部省官等表の中に,大元帥の表記がある。大元帥の下に元帥が1等官,大将が2等官,13等官の軍曹までの表記がある。兵部省は大元帥である天皇の元で,太政官官制表のなかでは独立している。明治5年の海軍省官制表にも大元帥の表示がある。天皇の服装は古唐服から明治3年から洋装となる86。翌明治4年の官制表で86 明治4年9月4日侍従一同へ服制更正の勅諭「朕推ふに国俗なるもの,移換以て時の宜しきに随ひ,国体なる者不抜以て其の勢を制す。今衣冠の制中古唐制に模倣せしより流れて,軟弱の風をなす,朕甚だ之を慨く,夫れ神州の武を以て治むるや固より久し,天子親ら之が元帥と為り,衆庶以て其の風を仰ぐ」『歴朝詔勅録』下