103号

103号 page 55/154

電子ブックを開く

このページは 103号 の電子ブックに掲載されている55ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「電子ブックを開く」をクリックすると今すぐ対象ページへ移動します。

概要:
明治太政官制成立過程に関する研究 2 49は,陸海軍それぞれが大元帥の元で独立すると,天皇も軍服を着用するようになった。明治4年以降,正院の事務局として内閣議官である参議が政務を掌握するが,すでにこの時期....

明治太政官制成立過程に関する研究 2 49は,陸海軍それぞれが大元帥の元で独立すると,天皇も軍服を着用するようになった。明治4年以降,正院の事務局として内閣議官である参議が政務を掌握するが,すでにこの時期において,軍が正院とは一線を画して天皇の元で独立した存在となった。以後陸海軍官制表には,憲法制定時まで大元帥の表記はないが,天皇が大元帥である事は自明であった。従来,統帥権独立の制度は,1878(明治11)年12月の参謀本部条例制定による参謀本部の設置を起点とする見解が多かった。参謀本部設置は桂太郎が主導したといわれている。しかし,そうではなかった。自伝にはつぎのような記述がある。「此の年の十二月に,参謀本部は天皇の直轄たらざるべからずとし,純残たる軍事を陸軍省と引き分け,軍命令は直轄となり,軍事行政は政府の範囲に属すべしといふ自然の空気が起こりしなり」87 桂太郎は,第六局から参謀局に改編した事は桂の建議であるが,参謀本部として独立することは「自然の空気」であったと述べている。桂は続けて「本来参謀本部は軍事行政を整頓し,その残余を参謀本部の事務なりと推考せしに,この全体の意卿とは反対したれども,俗にいふ田を往くも畔を往くも同じ道理なりと決心し,最初参謀本部御用係を命ぜられ,同本部の組織に参与し,此時を以て陸軍少佐に進み,次で同本部管西局長に補せられたり」88 ことを目的に兵部省に陸軍参謀局が設けられた。明治6年参謀局が第六局に改称し,参謀局條例が制定された。これが軍令機関の嚆矢である。その時期は官等表において武官が独立し,かつ官等表の最上位に大元帥が設置された時期と符合する。明治4年から6年までの時期に統帥権が独立したとする事は桂の見解である。(4)武官と文官の対立と妥協参謀本部が独立しても文官が兵権に全く関与せず軍が意のままに武力発動をしたわけではなかった。壬午軍乱後軍は朝鮮との開戦を進言したが,文官が反対して朝鮮公館への襲87 宇野俊一校注『桂太郎自伝』平凡社 平成5年4月9日 82頁88 同上書95頁