103号

103号 page 60/154

電子ブックを開く

このページは 103号 の電子ブックに掲載されている60ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「電子ブックを開く」をクリックすると今すぐ対象ページへ移動します。

概要:
54 高知論叢 第103号で提出されるのであり,天皇大権に属しこれを議論することも違法とする者125票,予算を議論できるとする者141票であり,その差はわずか16票であった。衆議院議員でありながら自らが議会で予算を....

54 高知論叢 第103号で提出されるのであり,天皇大権に属しこれを議論することも違法とする者125票,予算を議論できるとする者141票であり,その差はわずか16票であった。衆議院議員でありながら自らが議会で予算を議論できないとする議員が約半数いたことは,いかに議会において憲法が理解されていなかったかを示している92。天皇大権と議会の関与の問題は憲政の初期からあいまいな理解が行われていた。以上のように,天皇大権と憲法第4条の矛盾は,議会開設当初から内在するものであり,かつ明治維新以降における日本の政体に固有の矛盾が内在したものであった。小  括近年,戦後生まれの研究者は,明治憲法下の天皇親裁は建前だけに過ぎず,実態は百官分任体制や多元的統治体制と定義するようになった。諸官に委任する分任体制が天皇親裁の実態であるとする見解である。他方,軍による統帥権濫用問題は昭和の一時期に表れただけの異胎,鬼子であり,日本人が愛すべき国体は明治前半期にあったという理解もある。これらの見解は,明治以降の天皇の性格を,神祇を執り行う神官としての側面のみを強調し,政務・軍務の最終責任をとらない存在とする。従って,現実政治においては,君側の奸臣にあらゆる責任が帰属するとする史観とも相通ずるものがある。これらの天皇観は,天皇の政治責任を弁護する国体理解であり,天皇の存在を過少評価するものであった。それは果たして天皇親裁の実像であるのか。本稿では限られた史料の中で,可能な限り天皇親裁の実像に迫ろうとした。天皇は明治太政官制時代においても,常に政務,軍務を総攬・統帥する存在であり続けた。親裁の形式には幾多の変遷があったが,決して建前だけの天皇親裁ではなかった。92 『衆議院議事録』明治24年67~69頁